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星の墓場

星矢再熱。腐です。逃げて! もはや脳内病気の残念賞。お友達募集中(∀`*ゞ)エヘヘ

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墓標~死が二人を別つまで:3

 途中から、だいたいの事情を飲み込んでしまったらしいお嬢さんが、後から辰巳に言いつけて、インターネットから取り出した資料をプリントして届けてくれた。
 俺は師が使っていたベッドに転がり、ぼんやりと資料に目を通す。
 ギメルとは「双子」を示す言葉であり、二つで一対になるこの指輪は「離れることのない二人の絆」を意味するという。
 そこから16~17世紀頃のヨーロッパでは結婚指輪として流行したらしい。
 派手すぎない、アンティーク調のすくんだシルバーを土台に中央にはハートを模り、その上に縦並びの赤と青。
 それを包み込むように左右から手のモチーフが。
 ずらしてみるとなるほど、上下別の宝石をあしらっていると思っていた指輪は単体でルビーの指輪、サファイアの指輪となる。
 引き離した断面には、それぞれ名前の刻印と……骸骨?

「……死んでも一緒……」

 



 俺には不吉に感じたそのシンボルは、死ぬまで一緒、あるいは死んでも一緒という強い意思が込められているという。
 ロマンチックでもあり、ストレートな束縛にも思えて少し怖くもある。
 サファイアを暗示するのは、信頼と誠実、堅固な愛の証。
 対して、ルビーを暗示するのは、勝利と栄光、情熱と愛情、威厳と慈悲……
 他にもいくつか意味はあったが、まさにあの二人を象徴しているようなこれらの言葉だけが意識に残った。

「……エンゲージやマリッジリングだと思うから、変な想像になるんだ。あの人たちは親友だぞ? 普通に考えたら、元の意味は別に恋愛と決まっているワケじゃない。永遠の友情としてもおかしくないじゃないか」

 そうさ。親友と一口で言っても、常に死と隣り合わせの俺たちの指すそれは、一般で言うところの親友では収まらない。親友とは真友なのだ。
 命がけなんだ。魂を通わせるほど強い絆で結ばれた。
 それならば、この指輪の強い意味も納得でき……る?
 勢いに任せてそこまでこじつけたが、結局、自分を納得させるにいたらず、あえなく中断。

「……違うよなぁ。友情……だけじゃないよなぁ。……きっと」

 そうそう男同士の恋愛があるとは思えない。
 これまで一度もそれらしい人たちにお目にかかったことがない。
 師がそうではないという前提においてだが。
 しかし師は彼をキレイな人だと表現し、思慕を募らせて自らの爪を赤く飾った。
 それが恋でなくてなんであろう?

(かくいう自分も恋ではないにしろ、事実を知って実際に今、こんなにも凹んでいる……)

 一体、何に対して胸が痛んでいるのか。
 俺は冷静になるためにも自らの気持ちを整理してみた。
 兄と慕った師に自分の知らない恋人がいたことか?
 その相手が最近自分が憧れを向けている人物だからか?

(……その両方か……)

 師の想い人が別の人物ならば、こんなに衝撃を受けなかったと思う。
 他ならぬ、あの人だったからこそ……そして二人があまりにも似合い過ぎて自分が入り込む余地がないと感じたからこその落胆だ。
 不思議なことに師が同性に惹かれていた事実に対しては、割りにすんなりと受け入れられた。
 長身で長髪の見目麗しい男たちが恋人同士という図は、どこか現実とかけ離れた美しい幻想を思わせるからかもしれない。
 彼らなら構築しても許される別の世界があるように思えたのだ。

「少なくとも、蛮と檄が恋人でしたってよりは何億倍もいいかな」

 わざと可笑しなことを口走って、危うく連想しそうになる師と親友の美しくも妖しいシーンを頭から打ち消した。

(俺は……彼らの隣に立ちたかったんだろう、な)

 二人がいてそのまた隣などではなく、それぞれカミュの隣。ミロの隣にと。
 それも可愛がられる弟分としてではなく、一人前の聖闘士として男として認められて、同じフィールドに立つことを望んでいたのだ。

(いや、フィールドじゃないか。それなら何人いてもいいんだから。そうじゃなくて……)

 贅沢だけど、「相棒」になりたかったのではなかろうか。
 頼ってもらえる唯一無二の相棒に。
 だけど、二人がそんなに堅く結びついていたら、入れる隙がない。
 それで俺はきっと不貞腐れているに違いない。

「うん、これだ」

 ようやく合点がいった。

「なんだ、そんなちっぽけなことだったのか」

 憧れが長じての嫉妬心。これがモヤモヤの正体。

「俺もまだまだガキだな」

 我ながら情けない。
 もっと大人の考え方を身につけなければ、到底あの二人に追いつけやしない。
 納得したら、スッキリしたみたいだ。
 腕時計に目をやると、もう0時過ぎ。
 今から片づけるのは億劫だから、このまま眠り、続きはまた明日にしよう。
 そう決めて明かりを消し、目を閉じた。
 明日は本来の持ち主にこの指輪を渡さねばならない。
 喜ぶだろうか、悲しみがぶり返してしまうだろうか。それともまたドライに「そうか」と一言呟いて終わらせてしまうのだろうか。
 付き合いの浅い彼の反応は想像できなかった。
 まさか泣き崩れるなんてことにはならないだろう、強い彼に限って。
 何しろ、泣き顔を思い浮かべることすら難しい人なのだ。
 そんなことを考えながら、まどろみ落ちてゆく。





■□■






 きらきらと木漏れ日が重り合った葉の隙間から差し込んでくる。
 爽やかな軽い風が緑の香りを乗せて、最高位の聖闘士だけに着用を許される純白のマントを悪戯に弄んでは去ってゆく。
 身に纏う黄金の鎧は、水瓶座。
 ……カミュ!
 カミュだ!!
 優しい陽の光が降り注ぐ森の細道を俺は走った。
 待って。待って下さい、我が師カミュ!
 いくら叫んでも声が届かず、振り向いてもらえない。
 俺です、氷河です!!
 とうとう追いつこうと手を伸ばしたそのとき、視界が大きく開けた。
 森を出たのだ。
 見渡す限り続く広大な草原に、ぽつんと一本、艶のある赤い実をつけた木が立っている。
 手が届きそうな位置にいたはずの師は、すでに木の下に移動していた。
 同じ場所には、幹に背中を預けて座っている人影が。
 師と同様のいでたち。ウェーブのかかった金色の長い髪。
 うつむいていて顔の確認はできないけれど、あれはまちがいない。ミロだ。
 カミュ! ミロ!
 俺が手を振り、呼びながら駆け寄る。
 けれどやはり、彼らには俺の声が届いていないようで、こちらに見向きもしない。
 カミュはミロの柔らかそうな髪に指を差し入れ、ミロは俯いていた顔を上げた。
 まだ距離があるのに、何故だろう。
 間近で見ているように、ミロの唇の動きがわかった。


  カ、
   ミ、
   ュ、


 ずくん、とまた胃に不快感が現れ、重く沈んだ。
 岩でも飲み込んだみたいに。
 カミュは微笑んで、髪をなでていた手を滑らせて頬に触れる。
 それから、どちらからともなく、目を閉じて……
 ……ダ
 ダメだ……
 そんなこと、
 そんなことはダメだ。
 やめて……
 やめてくれっ!!
 堅く目を閉じて叫ぶ。
 …………。
 たぶん、ちょっとの時間だったと思う。
 でも恐ろしく長い時間だったようにも思える。
 俺は恐る恐る瞼をあげてみた。
 すると視界を占領していたのは、静かに眼を閉じているミロの顔だった。
 俺の手が、彼の頬に添えられている。
 ん? 変だな、これは俺の役目じゃない。
 ああ、でもいいや。
 俺は顔を少し傾けて、そっと彼の瑞々しい唇に………………

「……うっ、わっ!!」

 俺は勢いよく身を起こした。
 辺りは真っ暗で身を置いている状況を思い出すまでに少々時間を要した。
 心臓が煩いくらいに脈打っている。

「ふぅっ、はぁっ」

 夢だ。
 今のは、夢。
 俺はそう、遺品整理に来ていて、片付け半分に眠ってしまった。
 ……OK? 
 うん、よし、頭は正常。
  呼吸を整えてからベッドを這い出し、洗面台に向かう。
 冷水を何度も顔に浴びせ、自らに落ち着きを促す。

「なんて夢を……」

 やはり、師とその親友が恋人だった事実は自分が思っていた以上にショックだったのかもしれない。
 だからこんなおかしな夢を見たに違いない。

「おっ、俺は別にそういう意味で好きなわけじゃないしっ!」

 強くて優しい先輩として尊敬しているだけだ。
 師と懇意にしていた人だから、思い出話もできるし、親近感が沸くのは当然の流れ。
 やましい気持ちでついて回っているわけじゃない。
 けれどそんなことを思っている傍から、実際にはありもしなかったキスの感触が蘇る。

「うああ~っ!!!」

 両手で頭を抱えてしゃがみ込む。

「マリッジリングとかギメルリングとか……沙織お嬢さんが余計な知識入れてくれるから変な影響受けて夢見ちゃったんだ。俺は悪くないっ。夢ってちょっとしたことが引き金になって、普段は思ってもないような内容になったりするじゃないかっ!」

 誰も聞いていないのに言い訳を並び立てて、わめき散らす。
 せっかく親切で教えてくれた沙織お嬢さんまで悪役に仕立てる始末。

「本当だ、そんなこと、全然思ったことない!」

 口を閉ざすとすぐに目を閉じたあの顔や唇のイメージが脳を浸食してくる。
 だからひたすらに意味を成さない言い訳をし続けた。
 まだ夜が明けきっていない時間だったが、俺は身支度を整えて外へ出た。
 じっとしているとありえない夢のせいでまた妙な妄想につながってしまうから、何か行動をした方がいいと考えたのだ。

「そ、そうだ。カミュの墓参りに行こう。まだ一週間も早いけど、この指輪のことを報告しなければ!」

 ばたばたと慌しく宝瓶宮から飛び出し、俺はすぐ回れ右をして室内へ戻る。

「雨が降ってるじゃないか」

 持参してきた折りたたみ傘を引っつかんで再び、宮の外に急ぐ。
 いてもたってもいられない、というのはこういうのをいうのか。
 ……うーむ。ちょっと違うかも?
 俺は雨に濡れて色を変えた石段を駆け下りていった。
 この時間ならば、誰にも会うことはない。
 特にあの夢の後では、キスの相手だった本人にだけは絶対に顔を合わせたくない。

(すみません、すみませんっ!! 勝手にキスしてごめんなさいっ)

 夢の中の出来事なのに心の中で何度も謝罪しながら、難関・天蠍宮を無事に抜けた。
 次の天秤宮を抜ける頃には、本人の宮を難なく通り抜けられた安心感からかようやく最初のダメージから回復し、パニック状態からは脱した。
 なのに、なんて間の悪い。
 双児宮を出たところで、本人に鉢合わせてしまったのだ。
 なんでこんな雨の日に外から戻ってくるんですか、アンタはっ!!
 相手が悪いわけでもないのに、俺は責め立てたくなった。
 一連の事件は、俺の中だけで起こったことであり、現実には目上の先輩にキスを迫ってなんかいないし、相手もそんな夢の中の出来事を知る由もない。
 ……むしろ、知る由もないから、罪悪感があるような気もしなくもない……が。

「氷……河? どうした、こんな早く……」

 問われた俺はクールに、クールにと呪文のように心の中で唱えながら答えた。

「カミュの墓参りを……と」

 相手をまともに見ることが出来ない。
 どうしても目が泳いでしまう。
 そっと傘を深く被って、顔を隠す。
 変に思われてないだろうか。
  挙動不審気味の俺は、傘を持っていない方の手をゴシゴシとジーンズの太ももにこすりつけた。
  緊張で滲み出た手汗を拭こうとした無意識の行動だったが、例のリングが布越しに当たってはっとなった。
  そうだ、コレを渡さねば。

「そうか、雨で足元が滑る。気をつけて行くんだな」

 俺がポケットを探っている間に、ミロは俺を避けて双児宮を通り抜けるために歩き始めてしまった。
 特に命日より一週間ばかり早いことなどは問われなかった。

「ま、待って! 貴方に渡したい物が……」

 隠れるようにして傾けていた傘を持ち上げて、今日、初めてミロの姿をハッキリと目に映した。

「……なんで……傘……」

 彼は、傘を持たず、ずぶ濡れで泥だらけだった。
 髪は顔や首に貼りつき、水を吸って重くなった白いシャツは肌を透けさせている。
 転んだのか足も膝辺りまで泥に汚れて、酷い有様だ。
 それより何より驚いたのは、振り返った彼の目が赤く腫れぼったいことだった。

(えっ? えっ?! な、いた?)

 ……まさか。
 そんなハズはないでしょう? ……ねぇ?

(でも、あの目…………泣いた跡にしか……)

 瞳もわずかに潤んでいるように見えたのは、髪から落ちる雫のせいですか?

(……どうして? 何か……あった? でも……そんな、貴方が?)

 今見た光景が、にわかには信じがたい。
 強い貴方が。
 泣くはずがない。
 少なくとも俺が知る限りのこの人は、鉄壁の精神を有している。
 十二宮でカミュが命を落とした後も、俺を勇気付ける一方で彼が一筋でも涙を零したのをついぞ見ることはなかった。
 冥王との聖戦後だってそうだ。師の最期を伝えたときも静かに瞑目して「そうか」と一言、呟いただけだった。
 この人は強いのだ。他人の手を借りなくては立ち直れなかった俺とは違う。
 例え絶望と悲しみの前に屈することがあったとしても、自らの力だけで再び立ち上がることができる……いいや、それどころか他者の手を借りることをよしとしない鉄の心を持つ人だ。
だから泣かない。この人は泣いたりしない。
 涙なんか……

「……すまない。後にしてもらえないか? 見ての通り、濡れ鼠になってしまってな。早く着替えたいんだ」

 酷く狼狽している俺に、いつもより堅いと感じる声色で告げると再び歩き出してしまった。

(何故……? 何故、この時間に外から? 何故、傘を持っていない? 何故、そんなに泥にまみれている? 何故……何が……何か……)

 頭の中が、疑問の洪水に飲まれている間にも、彼の背中は暗い建築物の中に溶け込んでゆく。
 俺は傘を放り出し、追って双児宮の中に入った。

「ミロッ!」

 声は石造りの宮内に冷たく反響して散る。
 遠く離れたミロが歩みを止め、無言で振り返った。
 暗くて表情まで読み取れないが。

「何かあったのか?!」
「何か? ……ああ、転んだだけだ。だから、早く着替えたいと言ったろ。……もう、いいか?」
「なら、俺も一緒に……」

 会話を一方的に切り上げようとするミロに追いすがった。

「来るな!」

 鋭く一喝されて俺はその場にたたらを踏んだ。

「……あ……えと……話なら後で聞く。……それでいいだろ、氷河?」

 棘のある声を放ってしまったのを失敗と思ったのだろうか、急に和らげた口調でミロは言い直した。
 それでも明らかに、普段の温厚な態度とは異なる。
 なんだか様子がおかしい。
 やはり何かその身にあったのでは?
 独りにしちゃいけない。
 今、この人を独りで帰してはいけない。
 理由も何も聞いていないのに、それだけは確かだと直感が告げている。

「あの……でも……今日の貴方はなんだか変だ。も、もし、俺で良ければ……その……」
「だからっ」

 尻すぼみの俺の言葉をミロが苛立たしげに遮った。
 それからまた、年の離れた俺に対しての気遣いからか、声の調子を落として続ける。

「……何でもないと言ったろう。転んだだけなのにそう大袈裟にされると俺も困る」
「俺からもお話があるし……ていうか、なんか……やっぱりおかしいよ、ミロ! 転んだだけなんてウソだろっ!? なんかあったんだ! 教えて欲しい。俺は……俺は貴方をこのまま放っておけない!」

 少し気圧されかけたが、強気を保って俺も必死に言い返した。
 だって、もう無理だ。
 ただ転んだだけにはとても見えないじゃないか。
 確かに強いよ、貴方は。
 サガの乱の後も、聖戦の後も。
 いつだって自分の感情は、「そうか」の一言だけで終わらせようとする。
 すごいよ、強いよ、真似できないよ。
 だけどいいじゃないか。
 俺みたいすぐ挫ける惰弱なヤツと貴方は違うんだから。
 いつもそうやって強いんだから。
 たまには自分に弱さを許してもいいんじゃないのか。
 たまには泣いて見せてくれたって……いいじゃないか。
 たまには俺を頼ってくれてもいいじゃないか。
 頼りないけど、だいぶ年下だけど、役不足かもしれないけど……!

「おっ……俺は……俺はっ! 貴方が……、貴方を……あいし…っ」

 高ぶった感情に任せて、言葉が飛び出しそうになった。
 自分が放ったというのに、何の言葉かとっさに意味を拾えなかったが、口から出かけていたのは確かだった。

「クッ、クク……」

 だが俺の声に被せて予想外の笑い声が響き、それが形づく前に霧散させられた。

「クククッ。俺をこのまま放って置けない? ははっ、何言っちゃってんだか」
「……真面目に……言ってるんで、よして下さい。……からかうの」

 いきなり冷や水をかけられた形になった俺は、逆恨みにも近い怒りを抱く。
 貴方を、貴方の心を休ませてあげたい一心なのに、そんな憎まれ口ばかり。

(どうしてだよ)

………悔しい。

「なら、なお悪い。あまり年上を見くびるな。一歩譲って、お前の言うとおり何かがあったとしよう。しかしそれを何故、俺が口にせねばならん? しかも子供相手に相談ですか? ……この俺が? ふん、そういう口説き文句は、好きな女の子にでも使ってやるんだな」
「んな……」

 な、ん、だ、と!?
 クール? 冷静? ナンデスカ、ソレ?
 己の中心に普段から置いている単語が2つとも、一瞬にして脳内から消失した。
 一時的記憶喪失、ということにしておく。

「かっわっいっくっないなァ、アンタッ!!」
「なにぃ? 誰に向かってソレを言っている!?」
「アンタにだ、アンタにっ!」
「……可愛かったら怖いだろが」
「ヒトが心配してるっていうのにっ!」
「それが余計なお世話だと言っている!」

 逆恨みと侮辱への怒りに支配された俺は、ずかずかと大股で歩き、表情がわかる位置にまで迫った。
 さすがのミロもそんな俺に鼻白んだ様子。

「コ、コラ、それ以上、近づくな」
「何でですか」

 ジロリと睨み上げると珍しく、相手から目を逸らす。

「……チッ。今日はいやに絡んでくるな」
「それはっ……貴方が泣いて帰ってくるからじゃないですかっ!?」

 思わず言ってしまった。
 言ってしまったら、大きく目を開いたミロの顔からすぅっと表情が消えた。
 地雷を踏んだな。
 そう感じて俺は生唾を飲んだ。

「……ひょおがァ」

 う、やっぱり。
 声のトーンがぐっと下がった。氷の聖闘士でもないのに、周囲の温度まで下がった気がする。
 すると次は無表情から一転、普段から鋭い目じりがさらに吊り上がった。
 けれどここで尻尾を巻くようなら、初めからケンカ腰にまでなって食い下がったりはしない。

「なーあ? 頼むよ。これ以上、しつこく絡んでこないでくれ。俺は今日、すこぶる機嫌が悪いんだ。放っておいて欲しいんだよ、本当に」

 それでもまだ怒りを冷まそうと、ミロは濡れそぼった髪を両手でまとめ、水を絞る仕草を始める。俺から気を逸らしたいのだろう。
 どんなに逆なでしても、ストレートにぶつけてはこない。あくまで俺を格下扱いだ。
 それは気遣いであると同時に、対等になりたい俺にとっては侮辱である。

「できれば今日は一日中、誰とも会いたくない」
「でもっ」
「でも、じゃなくて! ……素直に縦に首を振って欲しい。これ以上、煩わせずに」
「……俺が……子供だからですか?」
「そう」
「大人だったらどうですか?」
「だって子供じゃん」
「子供じゃないです」
「子供です」
「じゃあ今から子供やめて、大人になります」

 これぞ子供のケンカといわんばかりの応酬が続く。

「……大人であっても! ……いや、大人だと主張するなら、嫌がる相手の領域に土足で踏み込む真似はしないものだ」
「……無理にだってこっちからこじ開けないと……貴方の心は、厳重な錠前がかかっているのに、開けるための鍵がない! 例え鍵を手にしても、入れて回す鍵穴すらついてないじゃないですか! それなら、誰なら踏み込めるんですか!? 誰なら踏み込んでもいいんですか!?」
「そこまでにしとけ、ロマンチスト。俺の心には別に鍵などかかっていない。だが、無闇に踏み込まれるのは好きじゃない。それだけだ」
「……なら……」

 俺はポケットに再び手を差し込んで、中のリングを痛いほど握り締めた。
 変形してしまわないかとか、そんな心配まではこのときの俺にできようはずもない。
 緊張して乾いた唇をなめて、自らもう一つの地雷に足を踏み出す。

「なら、俺がカミュだったらどうですか?」
「…………今……なんと?」

 ぴくんとミロの片眉が跳ね上がる。
 次いで胸倉をつかまれ、力任せに引き寄せられた。

「……殺すぞ?」

  正直、殴られるかと思った。
 それほどミロの瞳は怒り一色に染まっていたし、声が静かであればあるほど、それは根深さを感じさせた。
 だが結局、胸倉をつかまれたけど、長い沈黙の後、ただ手を放されるだけで終わる。

「……いい加減に、しなさい」

 俺の胸をどついて強引に距離を取らせ、小さく、掠れた声でミロは言った。
 たぶん、俺が他でもない、カミュの弟子だったからこれで済んだのだと思う。

(でも、殴ってくれてよかったのに)

 よろけた俺はすぐに体制を立て直し、ミロの手首を取る。
 すぐに振り払おうとした手に素早く、永遠のギメルリングを握らせた。
 そして問われる前に告げる。

「……ギメルリングです」
「……? ギメル……?」
「……“永遠に離れることのない二人の絆”」
「……は?」
「……カミュから貴方へ」
「……!」

 その瞬間、今にも噴き上がりそうだったミロの怒りの炎が容易く鎮火した。
 俺は、少し、妬いた。
 もうこの世にいない、その人に。

「ズラしてみて下さい。それは二つで一対となる指輪なので」

 手の中をじっと見つめたまま、動こうとしないので、俺が横から取り上げ、2つに分けて見せてあげた。

「ルビーは蠍座、サファイアは水瓶座を表す星座石だそうです。……意味は、ご自分でどうぞ調べてみて下さい」

 そう言って、手の中に戻す。

「……じゃ。俺は、もう行きます。……困らせて、すみませんでした」
「え? ああ、お、おぅ」

 すっかり怒りの冷めてしまった彼は、まだ半分、呆けた顔で応えた。

(……ちぇっ。つまらないな、こんなの)

 ……酷いよ、カミュ。
 俺……もうわかっちゃったんだ。
 俺もこのヒトが好きだ。
 貴方が抱いた感情と同じものを俺も向けている。
 優しくて、強くて、間抜けで、可愛くて、意地っ張りで……俺の方が弱いって自覚しているのについ、守ってあげたくなってしまうこのヒトが。
 なのに貴方との橋渡しをしなくちゃなんないなんて、とんだ貧乏クジだ。
 だから、少しイジワルさせてもらった。
 ギメルリングがエンゲージリングだとか、サファイアに「堅固な愛」という意味が含まれているとか。
 そんなこと、伝えてやるもんか。
 調べれば、5分もしないうちにわかってしまうけど。
 その間だけ、彼は知らないままだ。
 ついでにもう一つ、俺なりの対抗心を示しておく。
 ぼんやり右手の中を覗き込んでいる彼の、空いている左手を取って、その薬指に指輪を通す真似事をした。

「……何、やってんだ?」
「予約」

 気がついた当人に言って、手の甲に素早くキスをした。

「“死が二人を別つまで”」
「何!? な、なに勝手に……っ」
「何年かかるかわかんないけど、そのうち、本物贈りますから! ……待ってて下さいね♪」

 イタズラっぽくおどけて誤魔化して、俺はその場から駆け出した。
 くそ、すんごい、恥ずかしい!! そんで、マジ悔しい。

「そんなんいらんわっ! なんで俺がお前を待ってなきゃならん!? コラーッ!!」

 後ろから文句が飛んできていたけど、俺は振り返らなかった。
 これ以上、問い詰めても涙のわけは話してくれないだろう。
 あのヒトは、筋金入りの頑固者だから。
 でもきっとカミュの贈った世界でたった一つのリングが彼を慰めてくれる。
 今の俺にはどうしても出来ないことを軽くやってのけるに違いない。
 でもいつか……

■□■





 双児宮を出る手前で、柱に寄りかかって足を組んでいた、サガ……じゃなかった、カノンと鉢合わせた。
 現在は彼がここの守護者だったと思い出し、早朝から騒いでしまったことに恥じた。
 しかも内容が内容だ。
 きっと煩くて出てきたに違いない。
 2本の濡れた傘でトン、トン、とリズミカルに、しかし気だるそうに、片方の肩を叩き続けているカノン。
目が合うとニヤリとなにやら、物言いたげな嫌な笑いを投げかけられた。
 しかし目がまったく笑っていないから、不気味だ。
 ……もしかして……いや、もしかしなくても、会話が筒抜けだったのか。
 ぐあ、顔から火が出そうだ。
 気まずいが、すれ違いざまに一応、会釈だけして通り過ぎる。
 双児宮を完全に抜けるとあれだけ強く降っていた雨はほとんど上がっていた。
 もうだいぶ空が明るくなってきている。
 放り投げたままになっていた折り畳みの傘を閉じ、

「晴れそうだな、今日は」

 見上げて呟いた。




 師の眠る墓地まで行くとすでに花が添えてあった。

「そうか……ミロが来てたんだな」

 ミロは泣かない。
 ただし、人前では。
 きっと、この墓の前でだけは悲しみを吐き出すことができていたのだろう。
 さっきの涙のわけはこれに違いない。
 勝手な解釈をして独り、うなずく。

「カミュ、貴方の想いはちゃんと渡しておきました。それと俺、貴方に負けるつもり、ありませんから、そのおつもりで」

 実力も、地位も、あの人の隣も。その愛も。
 いつか、きっと、俺が獲得してみせる。
 師にライバル宣言をして、墓地を後にした。

「……ん?!」

 しばらく歩いてから、折りたたみの傘が手にないことに気づいて回れ右。

「あったあった」

 墓石の側に置きっぱなしになっている傘を拾い上げ、ふと心に沸いた違和感に動きを止める。
 双児宮でのカノンの登場は、自宮なのだから不自然ではないが、何かが引っかかった。
 ……?

(何が変だった?)

 思い出そうと短期記憶をたどったが、自分の羞恥心が前面に押し出され過ぎて、しっかり状況を確認している余裕などなかった。
 それに親しくもないカノンに対しての興味は持続しなかった。
 だから、手に濡れた傘というヒントがあったにも関わらず、俺はとうとう気づくことがなかったのである。
 興味の対象外であるカノンが、濡れた傘を2本持っていたことなど。
 ヤツの髪と体が雨に濡れていたことすらも。
 組んだ足元に泥が付着していたことも。
 それが、俺やミロの足を汚しているのと同様の墓地の土であったことも。
 ミロが神経を逆立てていた真の理由も……。








[終 了]

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