大切な物なら、十二宮に駐在している親しい人間に渡している可能性が極めて高い。
一度、作業を中断して俺は第8番目の天蠍宮へ足を運んだ。
「……あ。それ、持ってるわ」
「……やっぱり……」
俺が鍵について尋ねるとしまったとばかりに肩をすくめてみせる、師の親友。
「あは。……悪い。そうだった。受け取ったのだいぶ前だったから、すっかり忘れてた」
居住区の奥へ消えて、しばらくすると小さな鍵を指に引っ掛けて戻ってきた。
「なぁ、どうする? 手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です。物が異様に少ないんで明日には終わると思います。あっ、でもミロが思い出に何か欲しい物があれば……」
「ううん。なんも」
俺の提案にあっさりとミロは首を振った。
クールと熱血。タイプが真逆のようで、根のところでやっぱり親友同士、我が師と共通するところがあるのか、ミロも実に割り切ったものだった。
少しドライ過ぎしないかと思わなくもなかったが、逆の立場なら、師にしたところで同じかもしれない。
確かにどこか似ている。……故に性格が正反対でも親友でいられるのか?
うーん、すぐ感傷に浸る俺にこの二人はちょっと理解の苦しむところがある。
「どうせ、ロクなものナイんだろ? レシートとか書きなぐったメモの切れ端だとかそんなゴミ箱直行の遺品なんかいらないって」
そうカラカラ笑った。
ご明察。……さすが、よく解ってらっしゃる……
苦笑して、俺は手の中に落とし込まれた鍵をポケットに突っ込んだ。
「何かお宝が見つかったら、報告しますよ」
「ははっ。面白い物だったらな」
ミロと別れて宝瓶宮に戻り、鍵穴に差して回す。
「よし」
間違いなくこの引き出しの鍵だ。
引いて中を覗いてみると、小さな箱がぽつんとひとつだけ。
リング、あるいはネックレスでも贈るための箱だった。
開けていいものか迷ったが、どうせ断る本人はこの世にいないのだ。
(誰かに貰った物? それとも……)
渡す予定だった物か。
渡す予定があったのなら、その相手に受け取って欲しい。
今からでも。
(けど、思い当たらないな。カミュと懇意にしていた女性なんて。しかもこれを渡そうというのなら、それは……)
少なくとも修行中に若い女性が尋ねてきたことは一度もない。
恋人がいるという話も聞いた記憶がない。
(……いや? 一度だけ……)
遠い昔の記憶を探って手繰り寄せる。
(赤……赤いマニキュア。そうだ、ずっと昔、俺とアイザックが……)
「どうして先生は、男なのに爪に赤いの塗るの?」
「ん~? コレか。ははっ。……可笑しいか?」
「うん、ヘン!」
「あっ、コラ、氷河っ!」
「いいよ、アイザック。コレはな、」
記憶の中の師は、いつも形のいい爪を赤く飾り立てていた。
誓って言うが、性格的に女々しいところのない、いたって男性的な人だ、我が師カミュは。
細身ながら、見た目にも決して女性的というわけでもない。
端正な顔つきの、れっきとした男性である。
だから尚更、その爪が不思議だった。
ジュエルのようで俺はそれを気に入ってはいたが。
「コレは……んー……そうだな。私の好きな人がとても赤の似合う人だから……かな?」
「へーっ! へーっ! だから、赤いんだ!」
「この髪も眼も、だから気に入っているよ。子供の頃はよく周りから、変だとからかわれたものだがな」
「ねぇ、好きな人って誰!? 俺たちも会ったことある?! どんくらい好き? いっぱい? 大好き!?」
師の「好きな人」というワードに幼い俺たちは、胸をときめかせたものだ。
「っにゃー!? どうしよ、氷河! 俺、ハズカシいっ!!」
「俺も! 俺もハズカシいっ!! っきゃー!」
二人で口元に両手をあてて、ジタバタと部屋の中を走り回る。
「コ、コラ、そんなに騒がれたら、言った私が一番恥ずかしいじゃないかっ。教えるんじゃなかった、ったく」
普段は大人びて落ち着きがあるアイザックもこのときばかりは年相応の好奇心で目を輝かせていた。
その日は一日中、好きな人というのは、美人なのか、可愛いのか、髪が長いのか短いのか……二人で質問攻めにして、師を困らせた。
いつから塗っているのかは知らないが、師と初めて会ったときには既に、赤かったハズ。
そして息をしている最期の日まで、指先は彩られたままだった。
だとしたら、死の直前まであの爪に想い人の面影を重ねていたことになる。
(……長いな)
何年越しなのだろう。
シベリアで誰かと会っている様子はなかった。相手はきっと近隣に住む人ではない。
聖域に報告に行く、年に何度かのときにだけ、逢瀬を重ねていたのだろうか。
だから遠くてなかなか会うことができない恋人を偲び、自らの爪に赤を?
そんなに永きに亘った恋があったのなら、心苦しいが伝えてあげたい。
カミュは最期の最期まで貴女を想っていましたよ、と。
(確か、金髪碧眼の美人と聞いて……マーマみたいのを想像したはずなんだが……くそっ、肝心の名前がどうしても出てこない。それとも名前までは聞き出せなかったんだっけ?)
根掘り葉掘り質問したから、ひょっとして名前もチラリと聞いていたかもしれないが、食事に修行に勉強に……同じリズムの毎日の中で色めき立ったニュースもやがて埋もれて記憶から薄れていってしまった。
いくら思い出そうとしても、これ以上は引き出せそうにない。
困り果てて小箱に視線を投げ、ふいにひらめいた。
「そうか。もし渡すつもりのアクセサリなら、内側に名前が彫ってあるかもしれない」
これはナイスな思い付きだ。
「……失礼します」
師のプライベートを覗くことに多少の抵抗を感じつつ、謝罪してから箱を開く。
現れたのは、指輪。
そしてやはり……
(赤い宝石、か)
赤が彼女を象徴するのだとしたら、青はきっと彼自身。
(なんの石だろ? 見てもわかんないけど、赤といえばルビーで青といったらサファイアくらいしか思いつかないな、俺。宝石とか詳しくないし……なんか意味とかあるのかな)
赤い宝石と青い宝石が縦二段に並び、左右を手を模ったモチーフが囲んでいる。
「……変わったデザインだな」
そっと取り出して内側を探ったが、贈られる相手の名はおろか、贈り主の名前さえ見当たらない。
「えぇ~!? これじゃわからないぞ、カミュ!」
いきなり人探しの壁にぶつかってしまった。
もういっそ、ミロに訊いてみようか。
親友ならば付き合いのあった女性を知っているかもしれない。
指輪を前に考え込んでいたら、もう日が傾きかけていた。
失礼にならない時間までに行かなくては。
立ち上がって部屋から出ると、宝瓶宮を通過しようとした沙織さんの気配を感じた。
……これはちょうどいいぞ。
件の女性については師と交友のあったミロに聞くしかないが、せめて石の種類と込められた意味が知りたい。
沙織お嬢さんなら、詳しいに違いない。
そう考えてこちらから歩み寄る。
「あら、氷河。どう? 作業は進んでいるかしら?」
「え、ええ……」
沙織お嬢さんの後ろにはハゲタコ……もとい、辰巳と……
山積みの荷物で誰なのか判別不能の人物が一人。
背格好からして、どうせ邪武だろう。特別、用はないな。
指輪を取り出し、沙織さんに尋ねた。
「沙織さん、この指輪についている石、何だかわかりますか?」
「……あら? これは……」
沙織お嬢さんが俺の手から拾い上げて、目の前にもってゆく。
「俺、赤といったらルビー。青といったら、サファイアくらいしか知らないんですよね。あ、あと緑ならエメラルドとか? ……本物なんか間近で見たことないし」
説明をしていたら、「どれどれ?」と荷物持ちヤロウが荷物の横から顔を出した。
どうせ見たってお前なんかには、わからないクセに……と言い掛けて、俺は目を丸くした。
「せ、星矢?! 何やってんだよ、そんな邪武みたいなマネして」
「う、うるせーやいっ! 途中で沙織さんに捕まっちまったんだよ! 好きでやってんじゃねーや」
スネた顔で星矢が舌を出す。
「ふん、すっかり女王サマの犬か」
宝石を見てもらっている最中だというのに、いつものクセでつい俺が憎まれ口を叩くと星矢も不機嫌に目を細めて応酬してきた。
「お前だって変わらないだろっ。どっかの誰かさんに尻尾フリフリ荷物持ちじゃんか」
「んん!? なんだ、それ!? 誰が誰に尻尾振るってぇ?!」
聞き捨てならんっ! 言い合っていたら、瞬までが荷物を抱えて階段を上がってきた。
「待ってよ、星矢。早いよ」
「ずいぶん遅かったな。沙織さんのお供が嫌で逃げたのかと思ったぜ」
「ち、違うよ。上に乗せてた荷物が崩れてその辺に広がっちゃうから……」
どうやら瞬もアンドロメダ改め、下僕犬の瞬に転向したらしい。
その瞬が俺たちの口ケンカに乗ってきて、「氷河って、なんかミロのこと、大好きだよね?」などと言うから、目玉が飛び出すかと思った。
「は!? なんだそれ!?」
「だって……ねぇ?」
瞬は星矢に同意を求めて横を向く。
「そうそ。なんか見かける度に荷物持って嬉しそうに後ろくっついて歩いてるじゃん。……なー?」
「ねー? 最近の氷河の話題ってミロが、ミロがっていうのが多いし」
「うんうん」
……ぐっ。
何気によく見てるな、コイツラ……! あなどれんっ。
これからは気をつけなければ……
「氷河、聞いてるの、氷河ったら」
「オイ、お嬢様に尋ね物をしといて聞かないとは何だ!」
沙織お嬢さんと辰巳に呼ばれ、あわてて振り向く。
そうそう。星矢たちと低レベルに言い争っている場合ではなかった。
「石は貴方の言うとおり、ルビーとサファイアよ。それで……」
沙織お嬢さんは、俺たちの見ている前で一つの指輪を二つにしてしまった。
……エ……!? うわ……
「おじょーのヤツが指輪壊したぁぁ!!」
頭を抱えた俺と星矢が叫ぶ。さらに「鬼ーッ!!」と瞬までも青ざめた。
だ、大事な……カミュの遺品がっ! 相手の女性に届けなければならないのにっ!!
このワガママ女王気取りの怪力女め……っ!
さすがはハーデスのスピアを素手で難なく受け止める怪女神!!
聖闘士なんか必要ないんじゃないかという、反則的強さ!!
聖域で腕相撲をしたら、恐らく優勝はこの女に違いない!!
フツーの女には……いや、男にだって、指をちょっと動かすだけで指輪を横に切り裂くなんて芸当は……
「こっ、壊してなんかいませんっ! そんなワケないでしょ、失礼ね! 誰が鬼ですかっ、人聞き悪いっ!!」
怪力怪獣サオリンの手にかかり、再び指輪は一つに戻った。
「……これはギメルリングよ」
「ギメルリング?」
「そう。双子指輪。……こうしてズラすとホラ、2つの指輪に分かれるギミックが施されているの」
「へーっ! 面白れ~」
興味本位に指輪に手を出した星矢の手をパチンとはじく。
「コレは俺んじゃないから気安く触るな」
「チェッ。ちょっと見ようと思っただけなのに、氷河のケチッ」
「なんだ氷河が誰かに贈るのかと思って、兄さんと紫龍にメール送っちゃったよ」
スマホを手にした瞬が早速、余計な行動を取っている。
……話を大きくしないでくれ、頼むから。
「おっ……俺にそんな金があるワケないだろう。そんな相手だっていないわっ」
怒るな。クールだ。クールを忘れるな! ……自分に言い聞かせる。
「あら? 持ち主の名前が彫ってあるわね」
「え? 俺が見たときは……」
「ズラした断面の方に小さく……えっと」
そこだったか!
俺は怪力……じゃなかった、沙織お嬢さんの手から指輪を引っ手繰った。
「コラ、キサマ! 何度言わせるんだ、お嬢様に……」
「よいのです、辰巳」
「は、しかし……」
俺は記された二つの名を知り、愕然とした。
一方は当然、我が師の名。そして、もう一方は……
急に胃が重たくなった気がする。
なんだか気分が悪い。
はぁ。知らないでいた方が良かった。
何で気がつかなかったんだ。
聖域に行くときにしか会えない人物で「赤」というキーワード。
金髪碧眼のキレイなヒト。
爪に紅といったら、あの人しかいないじゃないか。
この……指輪が入っていた引き出しの鍵を所有していた人物しか!
「さ……沙織さん……」
「はい?」
「なんか……誕生石っていうの、ありましたよね? もしかして、11月の誕生石って、ルビー?」
沙織お嬢さんは少し考えてから、いいえ、と答えた。
「11月はトパーズとシトリンだったかしら。宝石のメーカーや国によって、選出される種類が違うから一概にはこれと決められないけど、トパーズは多くの国で11月となっているわね」
「えっ? あれ?」
「なぁに?」
「11月がルビーでは……?」
「ルビーは7月。サファイアは9月」
俺の知りたい内容を先回りして彼女が教えてくれた。
「全然違う……誕生日じゃなくて、イメージなのかな」
誰に言うでもなく、口の中で小さく呟く。
確かに赤い宝石の代表はルビーだろう。
それを彼女……ではなく、彼に当てはめるのはわかる。
赤く燃える蠍の心臓アンタレスはルビーの輝き。
そして青を水の聖闘士である自分に……?
「氷河」
自分なりの結論を出そうとした俺にまた声がかかる。
「その指輪の示すものが誕生石ではなく、星座石というのであれば……」
沙織お嬢さんはそこまで言って、周囲に視線を投げた後、俺に近づき「貴方の思っている通りですよ」と小声で教えてくれた。
「それから、ギメルリングというのは……」