今……。
バイアンに続き、イオの小宇宙が感じられなくなった。
「……バイアン……イオ……」
二本目の柱が崩れていく轟音が海界を揺るがす。
戦争が、始まった。
黄金十二宮を制覇した、桁外れの力を持つ青銅聖闘士が5人、ここ海界に踏み込んできた。
その中に、俺のよく見知った人間が混ざっていることは、最初から知っていた。
俺のところには誰が来る?
出来るなら……お前が来い、氷河。
俺はここにいる。
お前が見つけ出してくれ。
師カミュを越えたお前ならば、俺を止められるだろう。
だが、俺も全力でもってお前を迎え撃つ。
それでも氷河。
お前は俺を討たねばならない。
お前は地上の人々のために正義の拳を揮え。
俺は……居場所をくれた仲間のために、孤独しか知らぬあの人のために、この命を懸けよう。
例え世界にただ一人だとしても、あの人には味方がいたのだと……証明しなければならぬのだ、俺は。
「なんだ、クラーケン。話というのは?」
「単刀直入に聞きます。……アンタ、ホントは聖闘士……ですよね?」
「……ははっ。何を言い出すかと思ったら」
「12年前、射手座の黄金聖闘士が反逆罪で誅殺される少し前に、双子座の黄金聖闘士が忽然と姿を消している」
「……それが何か?」
「……アンタでしょう? アンタは海将軍なんかじゃない……双子座の……サガだ!」
いつまでも母親の面影を追い求めるお前に、いつか俺はそんな個人的なことのためにと怒ったな。
……本当は、あのときもわかっていたんだ。
お前は間違ってなどいないって。
人は建前だけでは生きられないから……。
純粋に世界平和のためだけに命をかけられる酔狂者がいるのだとしたら、きっとそれはほんの一握り。
その他大勢の俺たちは、自分の両手でどうにか守るに足るくらいの大切なモノのために戦うのだ。
そうやってわかっていたのにお前を一方的に責めたのは、ただの幼稚な八つ当たり。
カミュが……師が……聖域からの使者と話しているのを聞いてしまったから。
キグナスは氷河に、と。
俺の方が実力があるって明らかなのにどうしてって、納得いかなかった。
母親のことしか頭にないお前に負けるのが、悔しくて悲しくて情けなくて……
師は一度、弟子を死なせてしまった経験から、最後に来た氷河を少々甘やかせている節があった。
師にしても、まだ少年だったのだ。
小さな命を預かって、怖かったのは無理もない。
そうでなくとも俺は兄弟子なのだから、そのくらい理解して受け入れなければ。
そう思っていたのに、やはりどこか、不満があったんだろう。
だから、嫉妬から出た八つ当たりをした。
すまなかったと思っている。
「サガ、アンタは黄金聖闘士のハズなのに、何故、雲隠れまでしてこの海界に―……」
「……サガサガと呼ぶな、クソガキ!! サガと……愚か者のサガなどと一緒にするな!! 俺はカノン……カノンだ、クラーケン! お前がアイザックであるように、俺はカノンなんだ、わかるかクラーケン!?」
「……わかりましたよ、うるさいな。俺、やかましいの好きじゃないし、そんなに大声ださなくても聞こえてるから。それと、胸倉つかむのやめてくれません? アンタみたいな人にそんな風に持ち上げられたら、足が届かない」
「俺を……舐めるな、小僧? いいか? この俺は、海界は愚か、地上も手にする神となる……カノン様だ。二度と間違えるな。違えれば、この細首……即刻、圧し折ってくれる」
この美しい地上を守りたいなんて、およそ人間らしくない崇高な俺の理想は、上辺だけなぞった師の真似事。
本心からそんなキレイゴト、考えられるわけがない。
あのときのお前の原動力が母親ならば、俺の動機は我が師カミュだった。
母のために力をつけたかったお前は間違っていない。
俺も…………ただ、認めてもらいたかっただけ。
認めてもらわねば、即、見捨てられるのだといつも恐れていた。
カミュはそんな人間ではないとわかっていても、信じきることができていなかった。
お前なら問題ない、と言われ続けてきた反動だろうか。
常に自分はトップでないといけないのだといつしか強く思い込むようになっていた。
別の師の下で学ぶ聖闘士候補生との交流試合においても、全て勝たないと、1つでも取りこぼしたらガッカリされてしまうのではないかと自分を追い詰めていた。
お前と一緒に習った勉強においても同じ。
氷河に教えてあげなさいと言われれば、それを完璧にこなすため、空いた時間は全て学問に費やした。
俺はできて当然でないといけない。その狭い考えから抜け出せずにいた。
いつも居場所がないと感じていた。
……あんなに温かい場所だったのに。
カミュが読んだという本を片っ端から自分も読んだのも、全てカミュの足跡を上手に辿るため。
俺はカミュの出来の悪いコピーに過ぎなかった。
何をさせても俺に及ばず、それでも確たる個性を持って生きていたお前をカミュが選んだのは、正しかったと思う。
お前が師を越えて、今、この海界に乗り込んできているということは、師の目に狂いはなかったということ。
お前とキグナスを巡ったライバルになれて、良かった。
とても……誇らしく思う。
「……サガじゃなくてカノン? ……確か……双子座は……いや、そうか……なるほど」
「……おい……何が“ナルホド”なんだ? お前の推察通りならどうする? ここで俺を倒してみるか? まぁ、ケツに殻がついたままのヒヨコちゃんには到底、無理だろうがな。……それとも? 他の海将軍のお兄ちゃんたちに言いつけに行くのかな、ボクは?」
「……ハァ。……しょうがないな……」
「うん?」
「しょうもない人だな、オトナのクセに」
「………なに…?」
「しょうがないから、………………味方、してやる」
「……ハッ。秘密を知っても……このカノンにつくか」
俺は、お前より一足早く、師を卒業した。
誰かの顔色を伺って生きるのもやめた。
俺は今、かつて守りたいなどと心にもないことを口にした、その地上を滅ぼす側にいる。
手のひらを返したような俺の言動に戸惑い、お前は何故と叫ぶだろう。
そのとき俺は、何と答えるのがいい?
今の人間は汚れきっているから、粛清するなどと悪役みたいに言えばいいのかな。
そうでもしないとお前はきっと本気になれないから。
地上には、罪もない人たちが沢山いる。
罪を負った人であれ、神の気まぐれで命を断つべきではない。
人を裁くのも、人を許すのも、人でなければならない。
だから……本当は、お前と一緒に志を共にして戦いたい。
世界に降り注ぐ絶望の雨を止めたい。
それでも……、
それでも俺は、こちら側に立たねば。
俺を救ってくれた人たちが、こちら側にいる限り。
今、バイアンが。イオが。クリシュナが。カーサが。
倒された今、例え最後の一柱となってもこの北氷洋を守らねばならん。
彼らが命を賭して守ったものならば……俺もそれに殉じる。
彼らの誇りに懸けて、手を抜くわけにはいかない。
そして……
「……見返りに何を求める?」
「見返り? ああ、それがないと心配か。でも、今は言わないでおく。きっと通じないだろうから」
「は?」
「裏切らない確たる証拠はいずれ、見せてあげるよ。そのときに、俺もきっと見返りを受け取って……いるかも、しれない」
「なんだ、そりゃ?」
(影に生き、光に焦がれながら、この世を憎むしかなかったあの哀れな人に……)
俺が見せてやれるのは、冷たい北極の光だけ。
華やかに煌びやかに舞うドレスのようなそれは、けれど真に貴方が求めるものじゃない。
ねぇ、貴方が手にしたいものは、世界の支配権なんかじゃないはずだ。
貴方に必要なのは、永久凍土の心を融かしてくれる、暖かな日差しと貴方が負った傷と罪ごと抱いてくれる温かな両腕。
俺にはそんな光も温度もない。
だけどせめて、ほんの……ほんのわずかの明かりでも届けることができたなら。
俺は俺個人の身勝手な理由のために、聖闘士として地上の平和のためにと身につけた力を振りかざす。
だから。
だから、さあ、早く。
氷河、俺を止めに来い。
俺を殺してとあの人の野望を止めてくれ。
俺はあの人の味方だから、野望を止めることはできない。
「氷河よ。生きて再び会えると思わなかったぞ」
このめぐり合わせは、偶然? 必然?
願い通り、氷河が俺を見つけてくれた。
「白鳥座の聖衣、なかなか似合っているではないか」
本当に生きて再会できるとは……
たった一年しか経っていないのに酷く懐かしい。。
「恩人の顔を忘れたのか」
駆け寄って抱擁を交わしたい。
師と戦うことになって辛かったなと労ってやりたい……けど。
「……幽霊ではない」
勝てよ、氷河。
涙を流して謝罪なんかしている場合じゃないだろう?
別にお前の目なんか俺は欲しくない。
立て。戦え。そして、勝て。
俺に勝って見事、アテナを救い出してみせよ。
今こそクールに徹して、俺に対する情など捨てろ。
お前と全力で戦うためならば、俺はいくらでも悪役を演じて見せるぞ。
だから、さぁ!
「今や俺は北氷洋の柱を守る、クラーケンのアイザックなのだから―……」
……きらきらと、雪の結晶がキレイ。
氷河渾身のオーロラエクスキューションを喰らった俺が吹っ飛んだ。
クラーケンの聖衣が砕け散る。
これが、今の氷河の力……
(今まで……この身を護ってくれて、ありがとう……クラーケン)
氷河の後ろに我が師カミュの幻影が見えたのは……錯覚?
「見事だ、氷河。やっとクールに徹しきることができたな……」
見て……見ていましたか。
感じてくれましたか。
俺が貴方に宛てた、最期の北極光……。
貴方の野望を止めてくれる者が今からそちらに向かいます……。
ソレント……できれば貴方は戦わず身を引いて欲しい。
だってコレは……この戦いは……貴方々が奉じるポセイドンの意思などではないのだから……。
守護していた北氷洋の柱が壊れて、俺の上にも霧雨が降り注いだ。
俺が吐き出した血の塊が、いくつもの筋となって石の床に広がる。
氷河と俺が無残に踏みつけた幼い子の足音が遠ざかってゆくのを聞きながら、俺は一筋の涙を零す。
(……ごめんなさい)
俺は最初からずっと裏切者でした。
皆に、助けられて可愛がられて……居場所を与えてもらいながら……結局は、海将軍を騙る聖闘士であった者に手を貸し続けた。
手を貸したと言っても、具体的に手下として働いたわけではない。
ただ、黙っていただけ。
(でも、ごめんなさい)
だけど知っていて黙していたのは、それ自体、裏切り行為。
そのために皆が命を落としたのだから。
俺が殺した。
散らさなくていい命だった。
俺が皆を殺した。
なのに……俺は……
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
……可哀想だったんだ。
自分の名前を叫ぶあのヒトが。
(ごめんなさい、皆……。ごめんなさい……地上で雨に苦しんだ人たち)
……可哀想だったんだよ。
自分はここにいるんだ、誰か気づいてって……泣き叫んでいるような、あのヒトが。
だから、孤独を生きたあのヒトに、味方はいるのだと教えてあげたかった。
そして俺は一人の人のために、皆を犠牲にした。
……神様……
この悲劇の引き金は、あのヒトではありません。
この戦において、一番罰せられるべきは、この俺です。
どうか、罪深きこの身に相応しい報いを罰を…………
[終 了]