サガと距離が開くまで下手に動かない方が良いと判断し、そのまま息をひそめていると十二宮から赤い髪の少年が降りてきた。
赤毛でこの十二宮を自由に出入りできるといえば、水瓶座しかいない。
アレが12歳のカミュ……か。
12にしてはずいぶんと発育の悪いミロに比べて、こちらはスラリと背が高く、とても同年齢には見えない。
(あの赤毛も寸詰まりだったのにな)
かく言う俺ら双子も成長が早かったクチだが。
何しろ15歳のサガが身長185もある教皇シオンにすり替わることができたほどだ。
(しかしチビのヤツ……名乗る前は10歳程度かと思ったが、12歳か)
しばらくはチビはチビと呼んで差し支えなさそうだ。
「見ていたぞ、ミロ! 知らないヤツから物をもらうな」
赤毛は厳しい口調で言うと側までやってきて、ミロの手からぬいぐるみを取り上げた。
「あっ!? 返せよ、ぱんだっ」
そうだ、返してやれ。それは俺がミロにやった物だぞ。
「差出人の名がないって?」
「きっとデッちゃんだ! デッちゃん、今、教皇の命で五老峰の老師んトコ行ってるんだ。五老峰は中国だし、中国ったらぱんだしっ!」
何!? デッちゃん……? デスマスクか! それは誤解だ、ミロ! それは俺が……っ。……くそぅ。デスマスクめ! キサマもブラックリスト入りだ、覚えておけっ!
「デスマスクがわざわざぬいぐるみを送ってくるわけがなかろう」
そうだ。その通りだ、赤毛!
今、お前、イイコト言った!
「う。で、でも、いつも外国行くとお菓子買って来てくれるもん」
「菓子はデスやらシュラが出て行くときにまとわりついて強請るからだろう」
「カミュだって珍しがって食うクセにー」
「あれば食う程度だ。彼らにくっついて菓子菓子と騒いだりせん」
ほぅ。菓子……菓子がいいのか。
昔から食いしん坊ぶりは変わらぬのだな。その割りにあまり育っていないようだが。
まぁいい。では今度は、菓子をくれてやろう。そんで太らせてまん丸く……
「というか……問題をすり替えるんじゃない。デスマスクが送り主とわかるまではコレは私が預かっておくからな」
「なに!? そんなのズルイッ! あっ! わかったぞ! カミュもぱんだ欲しいからそんなコトいうんだっ」
取り返そうとミロが手を伸ばすも、背の高いカミュがひょいと上に上げればもう届かない。
ジャンプをして奪おうにも頭を空いた片手で押さえつけられて、それすらできずにもがいている。
「んなワケあるか、バカモノ。12歳の男子がぬいぐるみなど片腹痛い」
「だってホントは猫か犬飼いたいのに、ケチんぼ教皇がダメっていうからっ!」
「それで代償としてのぬいぐるみか……まったく」
「む。ばかにするなっ! ふわふわモフモフは正義だッ! ふわモフは世界を救う!! 例えばこうだっ! 相反する勢力がぶつかるとしよう! 相手が“燃えろ、俺の小宇宙ニャ”とかっ、“オーロニャにくきゅうション!”とかっ、“にゃいとにんぐぼると~!”とか言ってフワフワなヤツラが向かってきたらどうするというのだ!? きゅんきゅんしてもはや戦うことなど不可能ッ! しかし相手にとってもそれは同じこと! 想像してみろ、カミュよ! “せきしきめいかいわん!”、“えくすかりわーん!!”……ああっ! もうっ!! 無理ッ!! そんなモフモフの相手を傷つけるなんてとても無理ッ!! トキメキ過ぎて戦闘不能ッ!! ……こうして地上から争いがなくなるに違いないのだっ」
ミロは熱弁を揮い、両手で顔を覆って悶えた。
俺もちょっと想像し、頭を抱えて悶えた。
(すかーれっと・にゃーどる! とか言うのか!? な、なんだとぅ!? そんな相手では俺も危ういかもしれんっ!!)
しかし赤毛はクールに。
それはそれはクールに。
「……それが敵ならば、微塵も容赦しないが?」
「な、なんとっ!? 貴様は悪魔かっ!?」
叫ぶミロにハモりそうになり、あわてて口を塞ぐ。
「……ハァ……あのな。そんなにふわモフ好きなら、自分の髪でも触ってろ。十分、モッフモフだ。しゃがんで丸まってみるがいい。まるで何かの動物みたいだぞ」
「ぶっ……ぶっれいな!!」
……うおお。
ミロよ。どんな頭の中身をしているんだ、その突拍子もない妄想力。
俺までその妄想に巻き込むな! 危うかったわ、バカモノ!
でもいいか。そのままのお前で。
その方がなおのこと、あのチビスケっぽい。
人間、そうそう変われるわけがないからな。フフン。
丸くなくなったのは、少々残念だが、中身があのままなら俺は満足だ。
いやいや、でもやっぱりちょっと太った方が小動物っぽくていいと思うぞ。
目指せ、ハムケツ!
俺が小さくガッツポーズしている間にも、パンダを巡る不毛な攻防は続いていく。
「良いか、ミロよ」
「いくない!」
「……いいから聞け。このぱんだがもし! 変態ストーカーからの贈り物だったらどうするつもりだ!?」
んっ!? ナニッ!? ちょ……待て。
そこの赤毛!
いらんことゆーな。誤解されたらどーするつもりだっ!?
「変態さんが数週間、チュッチュしながら抱いて寝た物をお前に送りつけて、今頃、ミロタンがぎゅーって抱いて寝てくれてる。ハアハアみたいなことを妄想して喜んでいたらどうすると言っておるのだ!」
キ、キサ……赤毛……オマエ……それはまさか……こっ、こっ……このカノンのことをゆっているのでわあるまいな!?
抱っこしてハアハアなぞしておらんからなっ!!
言っておくが、俺は小児愛者ではないっ!!
思わず出て行って殴り倒したくなる。
がっ! こらえろ、俺ッ!!
すぐ側までサガのヤツが迫ってきているぞっ!! うぐぐ……
「怖い想像させるなっ!! どっからそんな設定出てくんだよっ!? 女顔のアフロディーテじゃあるまいし、そんな変態に興味を持たれるような要素がこのミロにッ!! あろうハズがッ!! ないッ!!!」
……意味不明なテンションで赤毛に指を突きつけるミロ。
そしてその指をコキッ☆と無表情なままの赤毛が逆方向に折り曲げる。
「ぅおがはぐぉっ!?? ななななっ、何をするっ!? 痛いわ!!」
「変態さんをナメるんじゃない! 変態さんは変態ゆえに変態なのだぞ!? 常人の我々の理解し得る範囲にいると思うのがそもそも間違いだと何故わからん!? オマエのどこに萌え~☆とか言い出すかわからないのが変態だ!! ミロタンのつむじ萌え~☆とかっ! ミロタンの指紋萌え~☆とかっ!! 言い出すとも知れぬ!! 油断するなッ」
「意味わからんっ!!」
「ともかく! 差出人不明の物などお前に渡すわけにはゆかん! お前はもっと警戒心を持て! だから黄金聖闘士が誘拐されるとかいう珍事件を引き起こして騒ぎになるのだ。どこの世界に黄金聖闘士で誘拐された奴がいる!?」
「そっ、そんな小さい頃の話を持ち出すなんてヒキョーだぞっ。だいたい俺は誘拐などされた覚えなどない!」
「恐怖で忘れているだけだろう」
「違うっ。トモダチと遊んでただけだ」
おおっ! トモダチ……そ、そうか?
そうだな。うむ。トモダチだとも!
忘れてはいないのだな、よ、よし。
「だから、そのトモダチとやらが誘拐犯だと何度言えば納得するのだ!? 名も知らぬのであろう? このパンダとて、そのときの誘拐犯の仕業かも知れぬというのに。意味のない贈り物ほど怪しいものはない。盗聴器が仕掛けられているとも限らんのだぞ」
「……じゃあ、先週、お前がくれた髪留めは? 急になんだって聞いたら、特に意味はないってゆったじゃんか」
「むろん、盗聴器が仕掛けてあるに決まっておろう」
「!? なぬ!?」
「……冗談だ。なんでもかんでも真に受けるな」
「……ならば、もっとそれっぽい顔で言ってくれ。お前の冗談はイマイチわからん」
ガキ共がやいのやいの言い合っている間に、サガは現場に到着してしばらく動く気配を見せない。
まだ距離があるうちはこっそり岩の後ろから様子を伺っていた俺だが、もう微塵も動きはしない。
「教皇!」
「……それはどうしたのだ、カミュよ」
教皇ぶったサガがぬいぐるみに目をつけたようだ。
「ミロが知らない者から、受け取っ」
「ウソウソッ!! デッちゃんが……あっ、デスマスクがくれたんですーっ!!」
「デスマスクなワケがないと私はっ」
「俺がもらったから、俺のっ!」
「……わかった、わかった。私が預かろう」
「エーッ!!」
サガに取り上げられて、ミロが悲痛な声を挙げる。
くそぅ、サガめ。俺がくれてやったものを……
ふん。まぁいいさ。
そんなに嘆くな、棒切れよ。
また今度別のを持ってきてやる。
偽教皇についてミロとカミュの二人も十二宮をあがって行き、ようやく緊張を解いた俺は、その場から離れた。
さて。
夜を待って行動開始だ。
階段を一段飛ばしに駆け上がり、無人の白羊宮を抜けた。
金牛宮にさしかかると通路に突如として空気の壁が現れ、吹っ飛ばされる。
一瞬早く防御したため、大事には至らなかったが、これは……
「この時刻に金牛宮を通り抜けようとは……何ヤツ!?」
チッ。アル坊か!
寝てろ、ガキ。
俺の気配に気づいたのはさすがと褒めてやるが、まだ甘いぞ。
図体ばかりデカくなっても12かそこらのガキにしてやられるカノン様ではないわ!
「グレートホーン!!」
のぉぉぉっ!? いきなり必殺技放ってきやがった、コイツ!!
「グレートホーン!!!」
コッ、コラッ!! 当たったらどーするっ!?
「グレートホーン!!!!」
よ、よせっ!! よしなさいったらっ!!
「グレートホーンったら、グレートホーンッ!!!!」
あぶっ……! アッブネ!! ムキんなってあちこちぶっぱなすんじゃねーわっ!
背を丸めて腹を引っ込めたり、身体を極限まで仰け反らせたりしながら、華麗なダンサーのように……いや……その……ごほんっ……タコ踊りのように、なんとかくねくねとピンチを乗り切った。
自分がなかなか柔らかい身体をしているらしいと初めて気がついた。
しかしどこかがグキッていってた。どこかというか、背中が痛い。
おのれ……、とんでもなく凶暴なガキだ。
「ン? 気のせいだったか? 誰もおらんな」
………………。
フゥ、ハァ、フゥ…………ど、どうだ。金牛宮を抜けたぞ。
ゲフッ、ゴフッ……ちょっと……鼻血が…………イテテテテ。
くそ、調子こきやがって。
騒ぎを起こしたくないから放っておいてやるが、戦闘になったら指先ひとつでダウンだ、コノヤロウが。
うすらデカイから愚鈍な牛かと思いきや、や、やるじゃねーの。は、はは……
このカノン様が褒めてやるんだ、光栄に思えよ。
(だから次から大人しく通せ?)
次は忌まわしき双児宮……だが、無人のはず。
そして巨蟹宮の主も今は遠く五老峰ということだったな。
問題は獅子宮、そして処女宮か。
つーか天蠍宮、遠過ぎじゃね?!
昔はサガのふりして何食わぬ顔で自由に上り下りできた十二宮。
もし阻まれたとしても、子供が守護する宮など簡単に通り抜けられるものと過信して警戒を怠り過ぎた。
気を引き締め直し、細心の注意を払って上を目指す。
(パンダのぬいぐるみは取り上げられたが、構わんさ。本人を連れ帰るのだからな)
今度こそ、アレを持ち帰る。
ようやく辿り着いた8番目の宮に忍び込む。
当然、鍵がかかっていることを前提に道具を用意してきていたが、試しにノブをひねってみたら……
(開いたよ、オイ)
どんだけ無頓着なんだ。
まぁ、確かにこんなところに泥棒に入れるようなヤツはいないだろうが……
それにしたってずいぶんと開放的というか無用心というか……
呆れながらも足音を消して中に踏み込む。
「……おい。起きているか、チビスケ? 迎えに来てやったぞ」
(行こう、一緒に)
小さく呼びかけてみるが反応はない。
寝室の扉も難なく開くがやはりまったく気配を感じず。
ベッドに近づいて手をついてみたがもぬけの殻。
だが、ほんのりとではあるが温かさが残っている。
確かにさっきまでここで眠っていたのだ。
「……ミロ? 俺だ。わかるか? まさか気配を消して俺を侵入者として始末しようと隠れているのではあるまいな?」
呼びかけてみたが、返答なし。
俺を殺すつもりで隙をうかがっているのではなく、本当に不在のようだ。
「便所か?」
もう少し待ってみようとベッドの端に腰を下ろした。
しかし。いくら待てど戻ってくる気配がない。
「……ちぇ。つまんねーな。どんだけ長いウンコしてんだよ。とっとと戻って来い」
暇をもてあました俺は部屋の物色を始める。
「ベッドの下にエロ本は…………さすがにねーか」
あったらからかってやろうと思ったのに。
「ん~? 俺がくれてやったモンはどこやったんだよ、アイツ?」
飾ってくれていると思っていたぬいぐるみも貝殻の小箱も見当たらない。
本もオモチャも……ってあれらは今のミロには不要だから始末されてもしかたないか。
ずっと幼児のつもりで物を選んでたからな。どう考えても服だって入らない。
だがパンダで喜ぶくらいの幼稚さが十分に残っているのだ。
今まで贈った数々のぬいぐるみは手放さないと思うのだが。
ベッドに横にして置いてある色褪せた青いネコのぬいぐるみに視線を落して舌打ちをする。
このブサイクなネコは確か、まだ俺がいた頃、サガが買ってやったものだ。
しかもいつの間にやら、服までご立派に着ていやがる。
こんな物をとっておくクセに俺がやった物が一つもないなんて……
「あのヤロ……」
気に食わなかったのか?
それにしたって酷い扱いじゃないか。この差は何だよ!?
クタクタの古ぼけたネコのぬいぐるみを床に投げ捨てて蹴飛ばす。
するとネコがぶつかったその先に聖衣ボックスが。
何の気なしに近寄ってみると……
「……うわ。コイツ……!」
ボックスにシール貼ってるーッ!?
「よ……妖怪ウォッ……ごふっ、げふっ」
……や……やるな。神話時代から一度も破壊されたことのない神聖な聖衣の箱にアニメのシールを貼り付けるとは!!
どんなに歴史を遡ったところで聖衣ボックスにこんな無体をしでかす黄金聖闘士は他にあるまい!
「すげぃわ、オマエ……大物だな……ある意味」
この中はもっと恐ろしいことになっているに違いない。
恐々、開いてみると……うわ、やっぱり!
お菓子ギュウギュウ詰め!! 他にもわけのわからんモノまで入ってる!!
スコーピオン聖衣、菓子に埋もれて見えないがいいのか、コレ?!
「カ、カオスだ……」
(カオスがここにあるッ!!)
恐ろしくなって、箱を閉じ、少し考えてからもう一度、恐る恐る開けてみる。
「……整理整頓しろよ。俺、ダメなんだよ、こういうの……よせよ……」
分類したくなるだろうがっ!!!
本は本棚ッ!
菓子は戸棚ッ!!
あーっ! もーっ!!
掘れば掘るほど出るわ出るわ。
食べ物だけでなく、表紙の取れかかった古い絵本(暗記するほど読まされたぞ、コレ)、ひび割れたガラスの玉(当時、宝石見つけたって、俺に自慢してたヤツじゃね?!)、色褪せた写真、果ては蝉や蛇の抜け殻まで(いらないって言ってるのに、俺にもっさりくれたな、そういや)!
それから……
「お。懐かしいモン出てきやがった」
その昔、俺が譲ったショーギ盤とコマの入った箱。プラスチックの超安物。
「はは……コレはとってあったんだな。……夢中になったもんな」
負けて悔し泣きしたり、手加減して勝たせてやれば得意げになってみたり。
ああ、
「……楽しかったな……」
柄にもなくしんみりしかけて頭を振る。
ナニ、過去のことじゃない。
これからさ。これから毎日、一緒に遊んでやれるんだからな。
そうだ。このショーギも向こうに持って行こう。それがいい。
一通り片し終わっても棒切れチビは戻ってこなかった。
「……どう考えてもウンコじゃないな」
気づけば空が明るみを帯びてきている。
潮時だ。
今夜は失敗。
きっと、仲が良いと思われるあの赤毛……カミュのところにでも泊まりに行ったに違いない。
「昔っから、落ち着きのないヤツだな。せっかく俺が6年ぶりに会いに来てやったってのに」
本人を連れ帰るつもりだったが、それは次の機会になった。
代わりに聖衣ボックスから出てきた数枚の写真をもらっていこうと手に取った。
古い写真だった。
その中の1枚が集合写真。
あの頃のチビスケ共とサガ、それに今は亡きアイオロス。
ここで暮らす“全員”の笑顔がそこに収まっている。
「……ふ、全員……か。……いらないな、こんな写真」
手の中にくしゃりと丸めてゴミ箱に放り、残った数枚の中から1枚を選び取った。
サガに抱かれて幸せそうなチビッコ。
まさに当時のヤツ、そのものだ。
ここに俺の時間も詰まっている。
サガが写っている部分は邪魔だったので半分に千切り捨てた。
俺が迎えに来たという意思表示に片方のピアスを取ってベッドの上に落し、その日は立ち去った。
■□■
次の日も、明くる日も。
歳若いとはいえ、黄金の守護者たちをあまりナメてかかれないと考えを改めた俺は、万が一にも姿を見られることを懸念して、夜に似せた漆黒のローブと仮面に身を包んで十二宮を疾走した。
だが何度訪れようと8番目の守護者は、持ち場を離れたままだった。
それも今までいたという温もりだけをベッドに残して。
「……どこに行ったんだ? 昼間はちゃんと修行に出ているようだが……」
夜になると決まっていなくなる。
(まさか、俺が来ることを察知して逃げたのではあるまいな?)
床に膝をつき、残ったわずかな体温に縋ってシーツに顔をうずめる。
ああ、ほんの少しだが温かい。ヤツの、匂いがする。日向みたいな、あの匂い。
「いいや、そんなハズはない……」
あっという間に散っていくチビの温度を逃がさぬよう、両手をそえたがあまり意味を成さず、虚しく冷えゆく。
(だって。だってそうだろう?)
自分の手が冷たくて、アイツの体温をそこに保てなかったのが少し悔しい。
(オマエはオレがスキなんだから。ダイスキだよな? だから、逃げたりなんかしないハズだ。そんなのはオカシイ)
親指の爪を咬んだ。
もう、タイムアウトだ。
今夜も会えなかった。
「おのれ、また来るからな」
外していた仮面を拾い上げ、闇のカーテンがまだ地上に留まっているうちにとローブを翻しその場から立ち去った。
……何日、そうやって足繁く通ったかもう数え切れなくなった。
どうしても会うことができない。
そうやって距離が開くうちにふいに疑問が浮くこともある。
俺は一体、何をしているのだろう、と。
俺の習性として、欲しいと思ったモノは何が何でも手に入れたくなるし、それが困難なモノならば、尚更、欲してたまらなくなる。
手に入れば急に価値を見出せなくなり、放り出すことも珍しくない。
そしてまた新しいモノに目移りをする。
常に何かに渇き、飢えていた。
コレさえ手に入れれば、この渇きと飢えが癒されるのではないかといつも、欲しいモノが見つかるたびに思うのだ。
だから、チビに対する思い入れだって、どの辺まで本気かなんてわからない。
もし実際に海界に連れ去ったなら、急に飽きて殺してしまうかもしれないのだ。
だいたい冷静になれば、この行動がおかしいとすぐにわかる。
自分の肉親でもない子供を連れてきてどうしようというのだ?
繰り返すようだが、俺は小児愛者なんかじゃない。
変態的な行為をしたくて連れてこようというのではないのだ、決して。
もっと単純に、連れてきたら暮らしが楽しくなるに違いないと思っているだけ。
問題は、子供なんてしち面倒なだけの生き物を手元に置いて、果たして俺がいつまで愛でていられるか。
ふいにそんな考えが頭を掠めたりもするのだ。
しかし、では諦めよう。
……ということはできないらしい。
手に入ってみないとわからないじゃないかと最終的にはそこに落ち着いてしまう。
それに。
それに、だ。
自分が狙った獲物を他人に取られるのはシャクだ。
それならいっそ、手に入れて飽きたときに壊してしまうのがいい。
だから手に入れるまでは諦めるに諦められないのである。
「……ちょっと! ねぇっ! カノン!」
「んー……?」
身体の下から女が責めるような視線を寄越してきた。
ああ、そうだった。
ガキを追いかけるのは変だと気づいて、やめてみようと思ったんだった。
それで……そう。
今夜は忌まわしき聖域に足を向けるのはやめにして、適当に女を引っ掛けてそいつの住むアパートの一室に転がり込んでいたのだった。
「ナニ考えてたの?」
「……お前には関係のないコトさ」
「なに、その言い方ァ!? ちょっとムカつくんですけど~」
セックスの途中で俺が興味を失くしたもんだから、ピーチクパーチクうるさいうるさい。
頭の悪そうな女。
顔はなかなか整ってはいるが、好みじゃない。
そもそも女というのはカンタン過ぎていけない。少し甘い顔をするだけですぐについてくる。
だから、興味が持続できないんだ。
(ン? それはチビも同じか? 何しろ、ぬいぐるみや菓子で釣れるんだしな。遊んでやると言うとすっ飛んでくるからな)
突拍子もない行動をとるのが面白いのかもしれない。
そしたら、成長するにつれ、常識的でつまらないヤツになるのかもな。
「……ククッ」
「何、急に笑って? なんかオモシロイことでも?」
「……別に」
女に介入されて思考が途切れると、ますます気持ちが冷めていくのがわかる。
「悪い。やはり他に行く」
「ちょ……!? 待ってよ、カノン!」
「……悪いな、その名は嘘だ。お前に本名を教えたくなかったもので。……忘れてくれ」
背中に下品な罵声を投げつけられながら、俺はさっさと服を着て香水臭い部屋を後にする。
(あそこは……日向の匂いがしない)
不思議とあれだけ呼んで欲しかった名を、他のヤツに呼ばれても何も感じなかった。
海界では「海龍様」としか呼ばせないから、カノンと呼ばれ慣れたわけでもないのに。
どんな愛の言葉を囁かれても心に響かない。
押し付けがましい母性を発揮して、母親のように接してこられても、うざったく感じるだけ。
やっぱりアレに執着している内は、他に目が行かないに違いない。
何人もの女を渡り歩いて悟った。
(何故、嬉しかったのかな、あのとき……)
ダイスキ、と言われて。
美女からの、熱のこもった大人同士の“キス”ではなく、ガキんちょの“ちゅー”だったってーのに、何を舞い上がっていたんだろうな。あの頃の俺は。
俺も子供だったから?
サガに嘘をついてまで、俺との約束を守ったから?
「今となってはよくわからんな。考えれば考えるほど」
だが、手にすればきっと答えは出る。
結果的に、飽きて捨てるとしてもそれはそれで仕方がない。
やがて忘れて他のモノに惹かれるはずだ。
そうでなかったのなら……飽きずに愛でていられるモノならば、今度こそ、俺の渇きも飢えも満たされるハズ。
「考えるのはヤメだ。手に入れてから考える方が俺らしい」
未来に期待して、再び聖域へ。
……何度尋ねても、いやしないのに。
何しろ、俺の生存はとっくにサガの知るところとなっていたのだから。
俺と鏡合わせの怪物・サガ。
そいつもそう、俺と同じく正体不明の飢餓を抱える男なのだ。
俺と同じく、手にしたモノを他人に譲れない、器の小さな男。
そして俺と同じ、狂気の男。
まだ俺は知らない。
あの男の手の内に自分があることを。