「……花束」
今は亡き兄の墓に足を運ぶとすでに誰かが花を添えてくれていた。
「一体、誰が……?」
早朝。
まだ辺りは薄暗く、また命日は一週間先であり、時期としても中途半端だ。
おまけに雨まで降っている。
何もそんなときに来なくてもいいようなものだが。
添えられた花束を見下ろして、そう思っている自分も今、こうしているのだから、人のことは言えた義理ではない。
しかし俺は咎人だ。
許されたとはいえ、あまり我が物顔で聖域内を歩きたくはない。
故にこの時間、この日を選んだのだが……
「……ゴールド、だな」
懺悔し冥王との戦いにおいて命をかけて貢献したとはいえ、聖域に混乱をもたらし、多くの聖闘士たちを同士討ちにさせ無駄な血を流させた兄。
本来ならば、他の聖闘士たちと共に躯を並べるなどおこがましい身だ。
だが慈悲深い女神は全ての罪を流して下さり、こうして歴代の黄金聖闘士が眠る場所へ墓標を刻むことを許された。
少し離れて並んでいる、兄と同じ罪を負ったキャンサーとピスケスの墓にもちゃんと花が添えてあった。
黄金聖闘士の墓を全て見回ったわけではないが、兄、蟹座、魚座とくれば、おそらく続きは射手座、山羊座、水瓶座。
そこにもおそらく同じように花が手向けてあるに違いない。
生き残った黄金聖闘士の誰かが仲間のために祈ってくれたのだろう。
「裏切り者の愚兄にまで…………ありがたいことだ」
小さく呟いたそのとき、軽い物音が耳に届いた。
顔を向けると雨に煙った視界の先に見知った背中を見つけた。
「そうか。お前か」
花を手向けてくれたのは。
傘を取り落とし、金色の髪を濡れるに任せて墓石の前にしゃがみ込んでいたのは、
「……ミロ」
辺りが薄暗いせいか、向こうはこちらに気づかない。
いや、それだけじゃない。
誰もいないだろうという俺と同じ先入観、それと……故人との対話に夢中になっているせいだろう。
雨音のせいで気配や物音がまぎれているというのもある。
かくいう俺も傘の落ちる音でようやく気づいたのだが。
丸めて小さくなった背中はいつになく、頼りなげに見えて胸がさざめいた。
(……まさか……)
(泣いて……?)
熱心に祈りを捧げる姿にも見えるが、落とした傘を拾うこともせず、ただじっと雨に打たれているそれは泣いているようにしか思えなかった。
先の戦いで半壊した十二宮が修繕されている間、居場所のない俺は無事だった天蠍宮にやっかいになっていた。
親しい者など一人としていない俺に双児宮は酷いことになっているだろうと笑いながら手招きしてくれたのがミロだ。
敵の立場から寝返った俺の存在を真っ向から否定し、そしてこの身に蠍の毒針を撃ち込むことで免罪符を与えてくれた厳しくも優しい男。
“俺が認めた男を侮辱するのは、このミロを侮辱するのと同じこと。
自らの過ちを清算するためにSNを
その身に受ける覚悟がお前たちにはあるか?
……その覚悟をこの男は持っている。
信ずるに値する男だ”
敵側にいた俺を非難する声が多い中で、彼は常に俺と行動を共にし、ときにさりげなく、ときに真正面から矢面に立ち続けてくれていた。
“お前たちの不満はわかる。
……が、俺はこの者を信じる。
……だから……
もしお前たちが俺を信頼してくれるのであれば、
どうかその怒りを鞘を収めて欲しい”
“この通りだ”と、下位の者たちに向けて俺のために深々と頭を下げたその姿を生涯、忘れることはないだろう。
“もし、万が一……何かあれば、俺が一切の責を負う。
この首を懸けてもいい”
証としてその豪奢な長い髪をみなが見ている前で束ねて切り落とした。
あのときの衝撃も忘れることが出来ない。
一方で、気高い戦士の仮面を脱げば、近寄りがたい外見に似合わず、人好きのする懐っこい性格であると知った。
私生活では会って間もない俺に生活の場を半分譲り渡し、寝食を共にする。
まるで昔からの友であるかのようにすんなり俺を受け入れて、コロコロとよく変わる表情を魅せてくれる。
少しばかり幼さを残した顔立ちは、あの夜、初めて対峙した誇り高く、一部の隙もない戦士としての顔とはまるで別人。
そのギャップに驚かされ、魅了された。
なかなか馴染もうとしない俺を気遣って、他の黄金聖闘士に会うときは必ず俺を伴い、機会を作る。
慣れない生活に疲れているのを感じれば、度々聖域の外に連れ出したりと、常に俺を気に掛けてくれていた。
他人から手放しの厚意を受けたことのない俺は戸惑いつつも、それが鬱陶しいとは思わなかった。
他人の傍がこんなに心地がいいものだなんて、これまで知らずにいた。
他者は全て敵とみなし、排除してきた俺に温もりを教えてくれたお前が。
影に生きた俺に手を差し伸べてくれたお前が。
……大切なんだ。
だから、
(こんなところで独り、泣かないでくれ)
勝ち気で決して他人に弱みを見せないミロの、忍び泣く姿が胸に痛い。
引き寄せられて、俺は足を踏み出した。
さすがに気配を察したのか、ミロが素早く振り向く。
つり気味の、やや大きめな目が驚きに見開かれる。
「カッ、カノン……」
涙に濡れた瞳を隠すように、ミロはすぐに顔を背けてうつむいた。
「こ、こんな時間にどうした」
「……お前こそ。傘も差さずに」
答えながら俺は彼が跪いている墓石の名を見やった。
やはりそうか。
“水瓶座のカミュ”
ミロの親友だという男。
……コイツのためか、その涙は。