墓 標
「聖戦から一年か。……早いものだな」
花束を墓標の前に置いて、今は亡き友に小さく語りかけた。
約一年前。
嘆きの壁を破壊するために我ら黄金聖闘士はその命を散らした。
地上の命運は星矢たち青銅聖闘士に託され、彼らは見事、女神軍を勝利へ導いた。
冥府とは講和条約を交わし、女神は勝者側として此度の戦で失くした聖闘士の命を冥界から開放することを要求した。
そうして俺は今、此処に在る。
残念なことだが、聖戦前に死んだ者たちに関しては、条件を満たさず還ってはこない。
……むろん、目の前の冷たい墓石の下に眠る我が友も……
「氷河は元気にしているぞ。近いうちにきっと黄金聖闘士の資格を取るだろう」
派手に破壊された十二宮の修復には手間取った。
とはいえ、ムウの念動力がほとんど仕事をしていたもので、俺やアイオリア、アルデバランなんかはもっぱら兵士と一緒に雑用係と化していたのだが。
ちなみにシャカは一番破壊したクセに手伝わない。
むしろ手伝おうとすると余計におかしなことになるので、ムウに叱られて放り出されていた。
こんなカンジで戦の後始末に追われてあっという間の一年だった。
忙しさにかまけて、大学のレポート提出し忘れるし、そもそも出席日数もあれだし単位もその……でまさかの留年になった。
……ハハッ。お前が生きていたら、言い訳はみっともないぞ。なんて、イジワル言うんだろうな。
そっと雨に濡れる墓石を撫でる。
「そんなワケで俺も色々忙しくて…………すまないな。会いに来るのが遅くなって」
……嘘。
言い訳だ、そんなの。
口から出る言葉と裏腹に、心の奥から否定する声が聞こえる。
いくら忙しくても会いにこれた。
ただ、避けていただけだ。
忙しくすることで、来ない理由を正当化しようとしてた。
本当は……
…………本当は。
勇気がなかっただけ。
俺は頭を振って墓石の前にしゃがみ込んだ。
「お前がいないことを確認することが、」
怖かったんだ、とても。
どこにもいない。
この世のどこを探しても。
傍にいない。
俺の隣にいない。
在るべき者が、そこに無い。
それを再認識してしまうのが怖かった。
だから、此処には来れなかった。
……言いたいことが、いっぱいあった。
何故、俺に黙ってサガの乱では氷河と戦ったのか。
(もっと他に方法があったろうに)
何故、俺の許可なく死んだのか。
(死んでも死ぬなって、言ったじゃないか)
何故、一言相談してくれなかったのか。
(一緒に考えて模索すれば命を落とすこともなかった)
何故、眉毛が分かれているのか。
(不思議でしょうがなかった)
何故、いつも意地悪なのか。
(意味なく俺の頬をつねってきたり)
何故、そんなに性格が悪いのか。
(いつも揚げ足取ってバカにして)
一緒にのんびり旅でもしようって話はどうなったのかとか。
もっともっと沢山、沢山、言いたいことがあった。
「お前は愛弟子の成長の糧となって満足して逝ったのだろうが……」
十二宮の戦いで凍り付いて絶命していたお前は微笑を浮かべていた。
遺された俺のことなど、きっと頭の隅にもなかったに違いない。
本当に、嫌な奴だったよ、お前。
いつも俺の気持ちなんてガン無視。
いつだってどんなことだって事後承諾で、それでも俺が最後には縦に首を振るってたかをくくってる。
サイアクだよ。
「……そーゆートコ、超ムカツク……」
自分のしたいことだけして、勝手に満足して死んで。
「周りのヤツラは俺がワガママでお前がカワイソウな奴に見えていたようだが、俺に言わせれば全然お前のがワガママ身勝手だったぞ?」
しゃがんだ姿勢で両膝を抱え、俺は生きているアイツがそこにいるかのように話し続けた。
「……そういや氷河な、この一年でだいぶ大人びてきたぞ」
サガの乱の後は俺のところにばかり来てた。
自分が師を殺してしまったんだと自分を責めて責めて。
俺がいくらそれは違うぞと説明しても、でも、だって、けれど、と話を元に戻しては泣いた。
理屈じゃないってわかっていたから、そのまま好きなだけ泣かしておいたけど。
海皇との戦いが終わった直後も、今度は兄弟子を手にかけたと自分を責めていたな。
無理もない。
……過酷な戦いを強いてしまった。
まだまだ子供なのに、な。
俺たちの誰かが海底神殿に行っていれば……って今でも振り返ってしまう。
そうすれば……二人に殺し合いさせなくて済んだのにって。
けど、そのあとは吹っ切れたみたいだった。
一時的に蘇ったお前との別れがまたアイツの心を蝕むんじゃないかって危惧したけど、今度は晴れやかな顔をしていたよ。
……きっと、自分に出来ることを精一杯したって自負があったんだろうな。今度は。
成長しているんだよ、お前が知らないところで着々と。
心境の変化のせいかな? 何だか近頃は急に大人びた顔つきになっちゃってさ。ははっ。
去年のメソメソ君とは思えない変貌振り。
背もまだまだ伸びそうだし。
……お前にも、見せてやりたいよ。
「……ハッ。だけどさぁ、カミュ。俺は違うんだよ」
俯いて自嘲気味に笑った。
俺は違う。氷河と違う。
(成長なんて、できない)
俺は違う。
できるだけのことを精一杯のことをできなかった。
氷河たちみたいにお前らを信じてやれなかった。
本気でシャカのカタキを討とうと思っていた。
ムウやシャカのようにお前たちの心の裏を読もうなんてできなかった。
裏切られたんだって憎しみが先行して、お前がどんなに辛かったかなんて気づいてやれなかった。
「すごく……傷つく」
お前が裏切るはずがないと、自信を持って言えなかった自分に傷つく。
きっとお前は思っていただろう。
俺がちゃんと真意を見抜いてくれると。
きっと願っていただろう。
「お前はいつも、大事なことを口にしてくれないから……。俺だっていつも察してやれるワケじゃない」
だけどそれでも察してやりたかったのに。
お前が期待するとおりに。
でも、できなかった。
氷河にはできたけど、俺には、できなかった。
お前との絆は確かなものだと思っていたのに、そんなのとんだ勘違い。
せめて、せめてお前が俺にも何か確かなものを遺していってくれたなら……きっと……もっと……
(強く信じることができたと思うのに)
そこまで考えて、自分がどんなにか醜いことを考えていたのだろうと気づく。
そうか…… 俺は氷河に嫉妬してるのか。
自分が出来なかった「信じる」ということをやってのけた六つも年下の少年に嫉妬していたのだ。
自分には何も遺してくれなかったって拗ねている。
優先順位が一番じゃなかったから、落胆したんだ。
庇護すべき者を優先するのは当たり前なのに。
俺は対等だ。
憂慮されるような存在ではない。
対等なのだ。
だから、そんな目に見えた証なんかなくとも俺は大丈夫。
そう、カミュは思ったに違いない。
俺がカミュを信じるよりもずっとカミュは俺を信じていたのだ。 ……きっと。
ああ、なんだよ。
くだらない、みっともない。
女々しくて…………恥ずかしい。
気がつけば、傘はとっくに落ちて転がっており、俺は濡れた地べたにひれ伏していた。
雨にまぎれて伝う涙が、泥で汚れた頬を洗い流す。
「…………止まらない」
(ああ)
押し寄せる感情の波が、涙となってとめどなく溢れ出る。
……いいさ。
命日より一週間早く来たのは、他人に会わないためだ。
今、ここには誰もいない。
本当は、ずっと我慢してきたんだ、一年間。
今日だけだ。
いや、
……五分。
五分だ。
五分だけ…………今、このときだけ、甘えを自分に赦そう。
そうしたら、きっといつもの自分に戻れる。
「うっ、うっ……」
無様に、墓石に縋って啜り泣いた。
「……うわぁあああっ。わあぁあああっ」
急に雨脚が強くなり、やがて堪えきれずに発した声を掻き消してくれる。
…………優しい雨に、感謝する。