よっし! いいぞ、チビスケ!
ちゃんとサガと俺の区別ができている。
サガもだまされていると納得しただろう。
扉の向こうの俺は思わず、拳を固めた。
「今、何か後ろに隠したな。見せてごらん?」
「隠してないよ」
……うわ、ヤバ。サガの声に険が入った。
何か俺と遊ぶ物を持って来たのだろうチビは、それをたぶん背に回した。
その行動が、兄の苛立ちを刺激したに違いない。
(まさか6歳児が些細な嘘をついたからといって、殴りゃしまいが……)
やれ清らかな神の化身だ、聖人君主だなんてたいそうな呼ばれ方をしている兄だが、俺に言わせりゃあ、アイツは周囲に持ち上げられて自分でも神様なんかとカンチガイしてしまった、ただの道化だ。
常に穏やかで常に正しくなどいられるはずがない。
必ずどこかにしわ寄せがくるようになっているのさ。人間ってヤツは。
生まれながらに邪悪と呼ばれたこの俺と最も血の近いアイツが白であるものか。
その証拠に見ろ。罪にもならない小さな嘘をつかれたくらいでご立腹だ。
「……見せてごらん? さあ!」
「…………うん……」
ほらほら。
もう、尻尾が出かかっているぞ?
子供相手に苛立つなよ、大人げない。
(しかし参ったな……悪いが助け舟は出せないぞ、チビスケ。なんとか切り抜けろ)
フォローするために出て行けば、俺が俺として他人と接触したのがバレる。
そうとなれば俺への戒めは今よりキツくなって会うことができなくなってしまう。
それに、秘密を知ったチビがどんな処分を受けるか。それも気にかかる。
何せ前例がない。
「誰と遊ぼうと思って双児宮に来たのか教えて欲しいな」
「えと……うんと……もちろん、サガだよ」
そうそう。それでいい。
見えもしない、扉の向こうの状況を想像しながら俺は頷く。
「おかしいなぁ? この時間帯、私は訓練生の指導で十二宮にはいないってミロも知っていたと思ったけどなぁ」
「あ、あの……あの……今日は休みって聞いてたから……」
「それもおかしいね? 今日は……」
サガの声のトーンがさらに下がった。
「今日、私は……」
おい、脅してるぞ、完璧に。
いいのか? “優しいサガお兄ちゃん”の化けの皮が剥がれかかっているが?
「ちょっとサボッて今、ここに来たところなんだが」
ピリリとチビの……ミロの怯えが伝わってきた。
心配になり、扉を少しばかり開いて隙間から伺うと、サガを見上げて立ちすくんでいるミロが…………
(……あちゃ~……)
サガに威圧されて、小便チビッていやがった。
「本当は、誰と遊ぼうと思ってここに来たのかな?」
再度問うサガの笑顔が今のチビにはどんな風に映っているか想像するのは容易い。
「嘘はいけないといつも教えているね、ミロ?」
チビは濡れた両足をもぞもぞと動かしていたが、やがて俯いた顔を上げて言った。
「なんで、本当はって聞くの? 嘘だと思うのはどうして?」
……うわ。
言い返したよ、あのヤロ。ションベン垂らしてブルッてるクセして、向こうっ気だけは強ぇな。
変に感心して俺は思わず目を見張る。
「質問に質問で返すのは良くないな」
「俺、ちゃんとゆったもん。サガと遊ぶために来たんだって」
「それが嘘だよね? お前は私に会いに来たんじゃない」
「なんで決め付けるの?!」
「私は休みじゃないのにミロは休みと聞いたといったからね」
「き、聞いたんだもん!」
「……誰に?」
「それはあの……えっと…………えっと…………か……」
「……“か”?」
6歳相手に執拗に責める14歳。
どこからどう見てもイジメだ。
神童サガ様に心酔している外の連中が見たら、なんと言うかな。
まったく聖人君主が聞いて呆れるぜ。
肩をすくめて行方を見ていると、チビが言い放った。
「……風のウワサだなっ!!」
「………………。」
サガが黙った。
「風の……」
ちょ……待て……!
風の……風の噂て!!!
どんなだよ、6歳!!
もう少しマシな言い訳はできないのか、6歳!!
ヤバイ、隠れているのに爆発する!!
俺は両手で口を押さえつけ、笑い出しそうになるのをなんとか堪えた。
同時に扉の外で俺と同じ声が「ブッ!!」と口から空気を噴出す。
「はははははっ!! 風……ッ! 風の噂!? そ、そうか。風の噂で私が休みと聞いてきたのか! くっ、はははははっ!!! 風の……風の噂……そ、そうか……まぁ、いい。そういうことにしておいてやろう。しかしな、ミロ。もうここに一人で遊びに来てはいけないよ? 私がいるときだけにしなさい。ここには、子供を別の世界にさらっていってしまう、怖いお化けが住んでいるんだ」
「ミロ怖くないよっ! だって、お化け、優しいもん」
「…………なんだって?」
腹を抱えて笑っていたサガの動きが静止する。
「ん?」
……………………ばかーん!
ソレ、今、自分でそのお化け知ってます、会ってましたって口にしたようなモンだぞ、バカミロ!!
これだから幼児は……!
もう風のウワサ通じないぞ、おいっ。
やはり俺が出て行くしかないかと考えていたら、いいところに邪魔が入った。
「っあー! まぁたオマエはションベン垂らしてからにっ!!」
「デッちん」
「デッちんじゃねーよっ!! どうして漏らす前にトイレに行かないかな、お前は」
口は悪いが世話焼きのデスマスクが小走りにやってきてチビを後ろから抱き上げた。
「もらしちゃってから、オシッコ~って言っても遅いんだからな」
連れ立って来ていたシュラが慣れた手つきでミロのびしょ濡れズボンと下着を下ろす。
「アフロ、バケツー」
「オッケ~♪」
シュラに言われてアフロディーテがこちらに向かってきた。
ヤべ!
扉から離れ、奥の寝室に滑り込んで俺は気配を消した。
勝手に扉を開けて入ってきたアフロディーテは、バケツを探して右往左往。
「あれ? どこかな、バケツ……」
寝室のドアを開こうとしたが、俺が鍵をかけたために開かない。
諦めたのか戸の前から足音が遠のいた。
「あ、いいところに。コレでいいや」
ガチャリと何やら重たい金属音が……?
……って、その音は!?
ちょ……待て、そこのオカマ少年!! それはダメだろう、持ってっちゃ!!
「はい、バケツお待たせ~☆」
「あっ!? こら、ソレは私の……ッ!? バケツじゃないだろう、アフロディーテ!! 返しなさいっ!」
サガの慌てた声がする。
寝室から出た俺は再び外扉にへばりついて聞き耳を立てた。
「似たようなモンだよ、バケツもジェミニマスクも。はい、シュラ」
「おう。……靴と靴下も入れておくか」
…………うーわー……
ガキ怖ぇ……。
黄金聖衣のヘッドパーツにお漏らししたズボンとパンツ放り込む気だ。
サガの、毒気を抜かれた顔が目に浮かぶぜ。
「じゃあ、サガ。床のオシッコはテキトーに拭いといて。ヨロシク」
「…………私が……か」
「うん。ミロの服は私が洗っておくから。バケツは後で返しに来るよ」
ジェミニマスクは、このアフロディーテにより、砂場遊びの場面でバケツ扱いされた悲劇の過去がある。
今度は汚物入れとしてのバケツか……
そのうち、掃除にも使用されそうな気がする。
「よし、帰るぞ、ミロ」
「俺、ちんちん丸出し」
「テメーのミクロちんこなんざ、あってもなくてもわかんねーから出てても問題ナシ!」
「エェ~!?」
「6歳にもなっておもらしして……ったく。今度もらしたら、エクスカリバーでスパッといくからな、スパッと!」
「ヤァダーッ!!」
「フフフッ、そしたら女の子になっちゃうから、仮面被らないとね。髪はこの私が可愛く結ってあげよう♪ あ~、楽しみ楽しみっと☆」
「うえぇぇんっ!!」
三人の意地の悪い兄たちに連れられて、声が遠ざかってゆく。
ふぅ。やれやれ。とりあえず、難を逃れたか。
あの3馬鹿トリオに感謝しないとだな。
「う~ん、まさに掃除宮」
「黙れ」
双児宮に出現した黄金の泉(!!)を片づけて戻った兄を茶化したら、じろりと睨まれた。
「……ミロが私に嘘をついた!」
「それが俺のせいだと?」
「嘘をつくような子じゃなかった! ……よくも」
ハイハイ。悪いことは全部俺のせいですよ、どうせ。
胸倉をつかまれながら、けれど俺は浮かれていた。
俺のせいで、ミロが嘘をついた。
俺と遊べなくなるのを恐れて嘘をついた。
つまり、俺がサガに勝ったということだ。
選ばれたのだ、俺が……このカノンが。
小さな子供のことだ。
その日その時で180度変化する、雲の行方と同じくらいに不確かな感情なのに、俺も兄も大人気なく振り回されていた。
……大人げも何も……
俺だってサガだって、まだ14のガキだった。
それも特殊な生い立ちと環境でとてつもなく歪んだ子供。
それが俺たちだった。
片や神童と呼ばれ、多くの大人たちに傅かれ、幼い頃から常にトップを走り続けてきた少年。
片や災いの星を背負いし忌子として、存在そのものを闇に葬られた少年。
そんな我らが求めたのは、同じもの。
己を己として扱ってくれる相手の存在だ。
それはサガにとっては幸運なことに、身近にあった。
この十二宮にいる、チビッコたちだ。
階級が同じ彼らは、サガをサガと呼び、跪くことはない。
慕ってはいるが、崇拝ではない。
彼らにとっては崇め奉る存在ではなく、もっと身近な年の離れた兄であり、友人だ。
ときに双子座の聖衣をオモチャにし、ワガママでグズッて困らせ、隙を見せればカンチョー!などとロクでもないことを仕掛けてくる、あのバカ共を兄はこよなく愛していた。
特によく懐く数名を偏愛し、その執着ぶりは表からはわからなくとも相当である。
その中の一人が俺に盗られたと感じたのだろう。
憎しみさえ湛えて兄は俺を視線で射る。
なんだよ。
いいじゃないか、一人くらい。
俺だって……独りきりは嫌だ。
「お前は私の名を語ってミロに近づいたんじゃないな!?」
「語ったけど、見破られたのさ」
「……ナニ?! 見破られたって……私たちが双子であることをか?」
そうだ。
見破ってくれたんだ。
俺がサガではない、と。
聖域中の誰もが俺を見て、サガ様だとありがたがるというのにな!
クククッ。愉快なものだ。
「鏡のお化けだって言ったら信じたから、そういうことになっている」
「そんな子供だまし、いつまでももつまい!」
「バカだから平気じゃん?」
「今は純真で幼いからそんなファンタジーでごまかせても! 子供はあっという間に成長する! すぐに嘘だと気がつくに決まっているだろう!」
「そう怒るなよ」
言って、はたと良いことを思いついた。
「なぁ。それならこんなのはどうだ? あのガキを二人で飼おう」
「……? ペットじゃないんだぞ、何を言っているんだ」
「この部屋から出さないようにして、ずっと飼っておくんだ。そうすれば秘密も守れる」
我ながら名案だ。
いつでもあのお菓子みたいな生き物が傍らにいるところを想像すると胸が弾んだ。
膝に乗せてあのクリクリ頭を撫でながら、沢山の本を読んでやろう。
数学も歴史も教えてやる。
それから食い物も与えてやる。
太らせたらもっとコロコロして可愛いかな?
今でもつまむとよく伸びるほっぺたが、もっと伸びるようになるかもしれない。
サガのフリして街に出るときだけは外に連れ出そう。
手を繋いで散歩をするのだ。
ぷにぷにのカワイイ生き物を連れている俺をきっと皆が羨ましがる。
「……仮にも……黄金聖闘士だ。そんなこと……」
あれこれ想像していた俺にサガが呟くように言った。
「何を言う? すでに俺が飼われているようなものではないか。ガキ一匹増えたところで問題ない」
「ダ、ダメだっ! ミロはすでに存在が知れている。いなくなったら、聖域中が大騒ぎだぞ」
「そうでなければいいみたいな言い方だな」
「ばかな……! そういうつもりで言ったのではない!!」
また頭上に鉄拳が落下。
チッ。なにかってーとすぐ殴る。
■□■
俺の素晴らしい提案は、いつも兄の図星を突いては怒らせる原因となる。
聖人になりきっているサガの抑圧された欲望は、開放されたがっているのに。
「幸い、俺たちが双子であることを知るものはいない。俺たちの力を持ってすれば、この聖域を手始めに地上を支配するなど容易いこと」
スターヒルの星占いだかなんだか知らんが、この俺を闇に繋いだ代償を聖域の老人たちにその命でもって償わせ、晴れて表舞台に立つ。
超人的な力を持つ聖闘士を支配下に収めれば、地上を制圧するのは簡単だ。
俺は隠れて過ごすこともなく、堂々と名乗ることが出来る。
チビスケのワガママも全て叶えてやれる。
そうすればきっともっともっと俺を好きになる。
馬鹿げた思考をそのまま口にしたら、とうとう水牢に放り込まれてしまった。
いいや。
本当はそれだけが原因ではないな。
チビに会うことを禁じられた俺は、牢につながれるしばらく前に誘拐事件を起こしていたのだ。
自分で思っていた以上にチビとの時間は楽しかったようで、会えなくなってからの時間がとてつもなく長く。
拷問かというほどに退屈な日々。
言葉を声に乗せても独り言にしかならない空しさ。
チビが懐いてくるまでは、寂しさに麻痺してわからなくなっていたのに。
思い出してしまったのだ、孤独という痛みを。寒さを。
このままでは凍えて死んでしまう。
思い余った俺は夜中に双児宮を抜け出し、八番目の宮で眠るチビをこっそり連れ去った。
どこか遠い田舎で、兄弟としてひっそり暮らせばいい。
きっと楽しく暮らせるはずだ。
安易に考えて聖域を出たら、あっさりその場で現行犯逮捕された。
……無論、兄サガによって。
その後も何度か誘拐を試みてはしくじっている。
スニオン岬の水牢に閉じ込められたのは、それらも原因の一端であろうと思う。