すみません、一度アップしたけど、穴だらけで酷かったので、ちょっと手を入れ直しました;
ほんの少しの間、泣く自分を許し、それから顔を洗うためにベッドから足を下ろした。
「ん、よく眠ったせいかな」
寝る前と比べて体のふらつきがだいぶなくなっている。
熱が下がり始めたのだろう。
相変わらず力は入らないが、これならば休まずにたどり着けそうだ。
何しろ、短い距離だというのに洗面所に行くにもいちいち途中で座り込んだりしながらだったから、少しでも熱が引いてくれたのは助かる。
洗面台で顔を荒い、うがいをし、喉の渇きを覚えて台所へと向かう。
ほとんど物の入っていない冷蔵庫を物色していると外からのノック音が届いた。
「ミロ、いるのだろう?」
毎度、お騒がせ、カノン兄さんである。
「話を聞いて欲しい」
眠って怒りも冷めた俺は、小宇宙で鍵なら開いていると反応を返す。
「……! ミロ!」
嬉しそうな声を上げて、早速カノンが入ってきた。
「許してくれるのか」
そして声が遠ざかっていく。
いやいや、そっちの部屋じゃないから。
おーいっ。ここ、ここ。
キッチンにいますってば。
室内を一巡したカノンは(トイレまで開け放って)、最後にようやく俺がいる所へやってきた。
俺はちょうどミネラルウォーターで喉を潤しているところで、入り口に立ったカノンと顔を合わせる。
「……トイレやバスまで開けるなよ。さすがにそこは入っていたら鍵かけるわ」
あ。風呂んときはかけてないときもあるかも? ……まぁ、細かいことはいいか。
「ミロ……久しぶりだ」
こちらの言葉を聴いているのかいないのか、まるで数年ぶりに会った旧友のようにフラリとした足取りで寄ってくる。
実際には2、3日しか間が空いていないのに、この歓迎のされよう。
思わず笑いそうになってしまう。
「ったく、大袈裟だなぁ」
水を飲み干し、グラスをテーブルの上に置く。
「もう口を利いてくれないのではないかと思ったぞ」
眉を垂れ下げ、肩をすくめるカノンは年上ながら、ちょっとカワイイ。
「ははっ、コドモか。ちょっと風邪を引いて寝込んでいただけだ」
「ならば呼んでくれれば、すぐに駆けつけたものを」
「うるさいな。怒っていたから、顔も見たくなかったんだっ」
口先を尖らせて椅子にどっかと腰を下ろす。
「……コドモじゃん……」
「あん?」
「い、いや。それよりその……この間のコトなのだが……」
「……いいよ、もう。怒っていないから。あの話はこれで終わりにしよう」
許すつもりで言ったのに、それまでしどろもどろだったカノンが何故か険しい顔つきに変わった。
「……終わり……とは?」
「だから、この件での怒っただの、ゴメンナサイだのはもうおしまい。ただし、今後はあんなイタズラはゴメンだからな」
「……イタズラ? そんなつもりはないのだが……」
「は?」
ではどういうつもりだったんだ。
またしてもじわりと小さくぶり返しそうになる怒りを抑え、隣まで来た長身の男を見上げた。
「カミュとは、恋人ではないと言ったな?」
……むっ。
だから何なんだ。どうしてそう、逆撫でしてくるかな。
恥なことだが、少し泣くことでようやくイライラも鎮まってきたっていうのに。
無言で顔を背けるとカノンの手が頬に触れてきた。
「俺はどうだ、ミロ?」
「……なに?」
すっと背後に移動され、微かな危険を感じた。
コイツはもう敵ではない。心強い味方であり、気の置けない友人だ。
だが、聖闘士として、戦士としては、背後に立たれるのはあまり良い気持ちがしない。
互いを守る意味での背中合わせは別として、単に背後に立たれるというのは主導権を相手に渡す……もっと言えば、敗北、あるいは支配を意味するからである。
相手が味方であり、日常という平和な場面である限り、この考えは大仰というものだが、結果から言えば予感は正しかったのである。
「お前の恋人と呼ばれたい」
低く耳元で囁かれ、肌があわ立つ。
「……な、ん!?」
……今、何て?
放たれた一言についていけない俺に、言葉による追い討ちがかけられる。
「……ダメか? 俺では?」
頬に触れた手に力が篭り、無理に顔の向きを変えられた。
向いた先にはカノンの顔が間近にあり、またキスをされるのだと瞬間的に思った。
「!?」
驚いた俺はとっさに身体をのけぞらせ、椅子ごとひっくり返ってしまう。
「…………。」
ぽかんとした珍しい表情を浮かべて、カノンはポーズそのままに固まっている。
「あがが……」
椅子に浅く斜めに腰掛けていた俺はといえば、考えて取った行動ではなかったために受身もままならず、身体を強烈に打ち付けて目を白黒させていた。
そんな俺の方にぎこちなく首をひねって向けたカノンが目を細める。
「……そんな風に避けるほど、俺が嫌いか?」
「そうじゃ……ないけど……でも……」
あれ? ヤバい。なんか……傷ついた?
相手の表情が真剣であることに遅まきながら気づき、しまった、と後悔した。
「す、すまない。またふざけているのだと思って」
言い訳がましく口にして、椅子と自分の体勢を立て直す。
差し伸べられた手を取ることはしなかった。
告白が本気ならば、期待させる行動は極力、慎むべきだ。
それにしてもカノンにそんな目で見られていたなんて……
「ふざけているのでは……」
「わかっている」
言葉を遮って頭を左右に振る。
「気持ちはとても嬉しいのだが……すまない。俺は今、誰かと付き合うとかそういう気持ちには……」
「……カミュか」
「……っ!」
未練を見抜かれて、居た堪れない気持ちになる。
視線を彷徨わせながら、小さく頷く。
叶わぬことも解っているし、もう諦めるつもりでいる。
しかしそれを引きずったまま、真摯な相手の気持ちを受け入れることはできない。
何より、カノンと良い仲になることが想像出来なかった。
兄として友人として、好意は寄せているが、それ以上ではない。
そもそも、カミュ以外の人間に恋慕の念を抱いたこと自体がないのだ。
「カミュはあの通りだったろう。俺とお前のキスを見ても、眉一つ動かさん。万に一つの望みもないなら、早々に諦めて俺を選べ」
「……わっ!?」
うつむいてスリッパの足先を見つめていたら、いきなり右手首をつかまれ、引き寄せられた。
抵抗する間もなく、口で口を塞がれる。
「うっ……」
強引に舌が侵入してこようとするから、思わず伸ばした左の爪で相手の頬を引っかいた。
しかし、カノンは怯むどころか好戦的な光を瞳に燃え上がらせて、俺の両肩を押してテーブルの上へ縫いとめた。
木の風合いを生かしたテーブルが激しく揺れ、先程置いたグラスが床に落ちて砕ける。
ああ、これでカップを2つ割ってしまったな。
状況にそぐわない感想がぼんやりと浮いた。
どうも俺の心は現実逃避したがっているらしい。
……が。
上半身をテーブルに乗せられ、弓反りになった俺の上にカノンが被さってきて、悠長にカップの心配をしているどころではなくなった。
「ミロ、カミュは諦めろ。諦めて俺と……っ」
「ちょ……おいっ!? ばかっ! 退けっ!!」
硬くなり始めたものを股座に押し付けられ、狼狽する。
次いでパジャマのズボンに指がかかるとさすがにこの後の展開を意識した俺が足をばたつかせて相手の胸を蹴飛ばし、不利な体勢から脱出。
蹴飛ばした反動を使い、テーブルの向こう側に転がった俺はすぐに立ち上がり、カノンを睨み付ける。
「何を考えている! 頭を冷やせ!!」
胸を強打されたカノンはしばらく咳き込んだ後、こちらを見返して薄く笑った。
「……さすがに簡単にはヤらせてくれないな。だが、力ずくというのも悪くない」
うわ、ウソ?! ナニソレ、その思考回路?! 着地点がおかしいだろ!!
ダメだ。どうかしている。
もはや話が通じない。
テーブルを挟んで向かい合い、互いに行動の先を読もうと神経を張り詰める。
こちらが少しでも動きを見せると相手もピクリと素早い反応を見せる。
(……隙がない!)
なんとか場を切り抜けなくては……
沈黙の中、緊張が高まって空気まで震えだしそうだ。
戦闘時でもあるまいに、どうしてこうなってしまったのだろう。
チラリと出口に視線を走らせるとカノンが動いた。
しまった! 出入り口を塞がれる!
少し遅れて俺も駆け出す。
(くそ、足に力が入らないっ)
もたつく自分の身体に毒づきながらも相手より少しだけ早く、狭い台所からリビングへと逃れる。
出入り口が自分側にあったお陰で助かった。
あんな狭いスペースに閉じ込められたら、いつまでも逃げ切れるものではない。
しかし安堵している暇はなかった。
すぐ後ろに冷静さを欠いた相手が迫っているのだから。
勢いあまって前のめりに転がりそうになるが、床に片手をつき、なんとか堪えてまた走る。
(室内はダメだ。外に……外に逃げなくてはっ!)
いくらなんでも外で俺をどうこうしようとまでは考えまい。
(くっそ、息が苦しくて堪らないっ!)
呼吸がヒューヒューとおかしな音を立て始めた。
咳き込むとわき腹が痛む。
だがあと少しの辛抱…………
「イタッ!」
外界へ続くドアまでわずか。
手を伸ばし、ノブに触れそうなところで、俺の頭が不意に後ろにかくんと折れた。
背後から髪を引っ張られたのだ。
「……逃しはしない」
怒りを押し殺したような、恐るべき声がすぐ側で聞こえる。
「イタタタッ! 髪っ!! 抜ける、ハゲるっ!!」
叫んで騒ぐと意外にも手の力が弱まった。
だが代わりに襟首が引かれ、後ろ向きのままぶん投げられた。
リビングの端に飾っていた観葉植物に腕が当たり、ひっくり返って泥がぶちまけられる。
ついでに、脱げて空中に舞っていたスリッパが顔面に直撃。
「てっ!」
「悪いな、ミロ。だが仕方ない。お前が抵抗するから悪いんだぞ?」
外界から俺を一先ず引き離したカノンは余裕の足取りで近づいてきた。
「抵抗するに決まっていようがっ!!」
誰が犯されるとわかって大人しくしているものか。
冗談ではない。
こうなったら、奥へ逃げるしかない。別の部屋に先に入って篭城だ。
体中が軋んで痛んだが、躊躇している場合ではない。
逃げなければ。
身を、身を守らねば。
(俺が……腕ずくで…………されるなんて……嫌だ……ありえない。あってはならない、そんなこと!)
助けを呼ぶなどという選択肢は初めからなかった。
男に襲われています、助ケテクダサイ……などと、このミロが。
卑しくも黄金聖闘士という立場に身を置き、スコーピオンの聖衣を与るこのミロが。
例え仲間内であったとしても、口にできようハズがない。
自分の身すら守れないと言っているのと同じだからだ。
しかし困った。
あまり激しく暴れたせいか、また熱が上がってきたらしい。
眩暈と吐き気までしてきた。
それでもどうにか立ち上がろうと足掻く俺をカノンが引き倒し、肩をつかんで仰向けにさせ、馬乗りになってきた。
「そろそろ大人しくなってくれてもいいんじゃないか? 追いかけっこもそれなりに楽しかったが……あちこちぶつけて痛かったろう。すまなかったな。俺もお前を痛めつけたいわけではないのだ。……解ってもらえるか?」
乱れた俺の髪を指で梳き、整え、丁寧に撫でてくる。
壊れ物を扱うような優しげな指の動きが逆に恐怖を増幅させた。
「そ、そう言うなら、退けよ」
これがあの、穏やかで優しい兄のようなカノンだとでもいうのか。
俄かには信じられない。
何か悪いものに取りつかれているのではないかと疑いたくなる。
「駄目だ。また逃げる」
獲物を捕らえたカノンが何を考えているのか読み取れない、感情のない目で見下ろしてくる。
「熱も上がってきたようだな。顔が赤いぞ」
「誰のせいだと思っているッ?!」
もう暴れるだけの力が残っていない俺は、せめてもの反抗で顔を横に向けた。
相手を見ないようにしていても、上から注がれる視線が突き刺さる。
……ヤバい。
正直、怖い。
当然といえば当然だが、こんな恐怖は未だかつて感じたことのない種類のものだ。
(どうすればいい? どうしたら……)
焦りばかりが膨れ上がって考えがまとまらない。
どくどくとうるさいくらいに心臓が激しく脈打つ。
(……カミュ!)
きつく目を閉じると友人の姿が浮かんだ。
けれど、ああ、こんなときでさえ、背中しか思い出せない。
「ミロ……そんなに嫌がらないでくれ。あまりお前に嫌われると……傷つく」