名もなき道化師。
身元不明の英雄。
キミの名前は誰も知らない。
「デスマスクってまさか本当の名前じゃないだろう?」
「当たり前だ。そんな名前をわざわざつける親がいたら、それだけで虐待だわ」
「だろうな。なら、本当の名はなんだ?」
「名前なんてねーわ。ただ、ソレがオレだとわかればいいんだから、記号でもなんでもいいんだよ」
1,少年期
私が聖域に連れてこられたのは、8つのときだったか。
魚座の黄金聖衣を手に入れるために修行地からやってきた。
実力の上でもうほとんど決まっていたようなものだが、一応、別の候補生との戦いの場は用意されていた。
相手を殺してしまうすんでのところで待ったがかかり、私は何の苦もなく金ぴかを手に入れる。
他愛ないな、なんて思いながら。
長い間、黄金聖衣の持ち主はなかったそうだ。
それがここ数年でチラホラと埋まり始めたとか。
現在、席が埋まっているのは、双子座、蟹座、天秤座、射手座、山羊座……この5つだけである。
そこに魚座の私が加わり、黄道十二宮は半分埋まったワケだ。
「お前たちも観ていたと思うが、この子が今日からピスケスの聖闘士となるアフロディーテだ」
射手座のアイオロスが私を紹介した。
「仮面しとかなくていいのか? それとも顔見た全員を殺す気満々か~? さすがにこの人数と結婚はできねーもんな。キヒヒッ♪」
いきなり無礼な口を叩いてきたのは、私と年頃の変わらぬ銀髪の少年だった。
年の割にずいぶんと荒んだ目をしている。
「コラ、デスマスク! 初対面でなんだ! これから先、一緒にやっていく戦友となるんだからな。仲良くしなさい」
「なんでだよ。オカマなんかと一緒に戦えるかってん……」
オカマ。
未だかつて、一目で男だと気づいてもらえたことのない私は、そんな侮辱の言葉などもはや聞き飽きている。
私はつかつかと歩み寄り、固く握り締めた拳で、ほんの挨拶をくれてやった。
「ごあっ!?」
殴り飛ばされるのは想定外であったろう。
まともに喰らって、デスマスクとやらは受身も取れずに柱に激突した。
「フン。キミは名前にマスクを被っているようだな。まさかそれが本名じゃあるまい? 本名知られたら、その相手と結婚でもするのか?」
挑発し返したら、集まっていた他のメンバーが笑い出した。
「フフ……ハハハハ! これは一本取られたな、デスマスク!」
「うっせーな、オッサン!!」
デスマスクにオッサン呼ばわりされたのは、私たちよりもだいぶ年上の青年……いや、背は高いがまだ少年だろうか。
双子座のサガといった。
年頃も近いであろう射手座のアイオロスと並び、恐らくこの十二宮の中心となる人物に違いなかった。
怖いくらいに均整の取れた相貌に、私は思わず釘付けとなった。
他人の外見に魅せられるなど、初めての体験で胸が高鳴った。
(なんて、キレイで……冷たい眼のヒトだろう)
恋、などというものではない。
どちらかというと恐怖に近かったと記憶している。
怖いのにどうしようもなく惹かれてしまう。
波に砂がどんどん削られて足場がなくなっていくような、追い詰められた焦燥感が心の中に広がった。
「今のくらい避けられないで……みっともないぞ、デッちゃん」
見知らぬ男の子の声が私を現実に引き戻す。
山羊座のシュラだった。
「るっせーなぁ」
「謝んなさい、デスマスク!」
「なんで殴られた俺が謝んなきゃいけねーワケェ? 理不尽、理不尽っ!!」
年長者のアイオロスに首根っこをつかまれて、デスマスクは躾のなっていない獣のように暴れている。
「……別に謝らなくてもいいさ。もう殴ったしね」
私はそう言ってデスマスクに握手を求めた。
「嫌いじゃないよ、キミみたいなヤツ」
子供らしさの中に歪んだ黒い光を宿している。
片手で足る年齢で、“死の仮面”などと呼び名がつくような人間だ。
どうせロクな人生を歩んでこなかったクズだろう。
きっと、どちらかと言えば、同じくくりに入るはずだ。
私と彼は。
「……ふんっ。オカマにしてはまぁまぁやるな。しゃーねぇ。認めてやる」
何を認めてくれんだか知らないが、案外大人しく、彼は差し出した私の手を取った。
それからじっと私の目の奥を覗き込んで、ふ、と薄く笑うのだった。
同じ匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
「なにがまあまあだよ。完全にやられといて」
呆れた様子でシュラがデスマスクの後頭部にチョップをくれた。
「俺はカプリコーンのシュラだ」
続いて私に握手の手を差し出す。
「……よろしく、シュラ」
私は微笑んでその手を取った。
……濁ってない。
このシュラという少年の目に宿る輝きは、私やデスマスクと違い、危険なまでに透き通って美しかった。
デスマスクとシュラの二人は私より1つ年上だった。
初対面の騒動は後に引くことなく、すんなりと打ち解けた私たちは、何をするのも大抵、一緒だった。
二人は私にあらゆることを教えてくれる。
聖域の地理や無言の決まりごと、関わる人物たちの力関係など。
それから、彼らしか知らない秘密の基地だとか、このメンバーにしか通じないサインだとか。
私を挟んで左右に二人がいる形でいつもいつもそれこそ一日中、一緒だった。
まるで本当の兄弟のように。
一つ年下で見た目にも華奢だった私は、彼らと対等に付き合っているつもりで、その実、二人からいつも甘やかされていたように思う。
私は二人が大好きだった。
基本的に他人を信用しない私だったが、彼らの存在は私に一切の警戒を抱かせなかったのである。
私の居場所はここなのだと幼心に確信できた。
三人の、真ん中にすっぽり収まっていれば、それがベストポジション。
そこはこの地球上で一番安心できる、私の小さな理想郷となった。
初めての任務はデスマスクと組むことになった。
内容は、暗黒聖闘士の討伐。
「初めての任務で相手が人間というのはどうかと……」
決定した教皇にアイオロスがおずおずと意見した。
気の遠くなるような歳月、歴史の裏に隠れて暗躍し続けていた女神の聖闘士。
それ自体が化け物のようなものだが、神話として各地に語られる化け物たちもまた実際に存在していると聞かされてきた。
女神が封印しているだけで、科学的に証明されていないそれらは、あちこちに眠っているのだ。
なんらかの外的要因で、それらの封印が解かれたときに聖闘士が活躍する。
他にもう一つ、聖闘士がその拳を振るう機会があるとすればそれは、裏切り者を始末するときである。
常識では測れない強大な力を手に入れれば、心の弱い人間は簡単に闇に侵食され、罪に手を染める。
そうして外道に堕ちた聖闘士を暗黒聖闘士と呼び粛清の対象とする。
私の最初の任務は、足取りがつかめた一部の裏切り者集団を打ち滅ぼすことだった。
化け物相手なら力を振るえても殺人を犯すとなれば、躊躇する。
ことにまだ年端もゆかない子供ならば。
そのように心配したに違いないアイオロスが教皇に意見申し上げたのだった。
……まったく、お優しいことだと思う。
「問題ありません、教皇。是非、私めにその役目をお与え下さい」
教皇の間に呼び出されていた私は肩ひざをついたまま、そう答えた。
「アフロディーテ!」
教皇の補佐として左右に立つ、アイオロスとサガが互いに目配せをしている。
「他に誰かつけた方がよろしいのでは?」
「俺様が行ってやるよ」
サガがアイオロスの意見に援護射撃を送ったとき、不躾に言葉が重なった。
見れば入り口のドア枠に背を預けて足を組んだデスマスクがいた。
「……人殺しは俺の得意分野だぜ?」
ニヤリと笑った少年に私も微笑み返した。
「では、二人で行ってきます」
私は他人に心配されるような人間ではなかった。
人を殺めるのは初めてでもない。
それをわかっているのは、同種であるデスマスクくらいなものだろう。
ほとんどの者は私のこの、甘い外見にだまされる。
だますつもりなど毛頭ないが、人は思い込みの生き物だ。
可憐な少女のような姿かたちをした者が、薄汚れたゴミ溜めを這いずって今の地位を手に入れたなどと思うものはいまい。
私は見知らぬ他人の命など、どうとも思わない。
私にとって大切なのは、私が好む人間が他愛ない幸せを感じながら生きていてくれること。
私の望みに不都合をもたらそうという輩は、排除すべき対象だ。
ゴミを始末するために動かす感情など、微塵もありはしない。
見もしない女神のためでなく、私は私の居場所を確保するために目の前の敵を砕くのだ。
それから……
(見てて、サガ。私が強いってこと、証明してみせるから)
早く一人前として扱ってもらいたい。
その人に心の中で語りかけながら、私は退室した。