………………は? ときたか。
凹むな、それ。
確かに遊びだと言っていたし、それを承知でコトに及んだわけだが。
ドライヤーのスイッチを切る音がして、ミロが洗面所から戻ってきた。
「すまん、ドライヤーの音がうるさくてよく聞こえなかった。どこに行きたいって?」
「違う。その付き合うじゃなくて……つまり……」
「ん、ああ。そーゆー“付き合う”、ね」
頷いてからミロはしばし逡巡したのち、悪いと一言口にした。
それから整えてきた髪にくしゃりと片手を突っ込んで「あー」だか「うー」だとか言葉の形になりそびれた声をいくつも吐き出す。
「あの……」
続きを待つ俺にミロは彷徨わせていた視線を再び向けてきた。
「あの……さ。リアは夕べがつまりその、初じゃん? だから、きっと、カンチガイしたんじゃないかな」
「か、勘違い!?」
なんだ、カンチガイって?
誰が何を思い違いしていると?
「慣れてなければ余計にさ、この夜は特別なんだとか思いがちだし。……だから、相手のこと、好きって思い込んだだけじゃないのか?」
「そっ……!」
そんなことはない。断じて。
言いかけた俺の言葉を遮って、ミロは続ける。
「……割り切ろうぜ。あれは遊び。遊びならいつでも付き合えるけど、本気はダメだから……」
「……遊びならいいのだな?」
何故だと問い正したいのを飲み込んで、確認の言葉に摩り替えた俺にミロは意外そうな顔をしてみせた。
「遊びは本気に発展したりしない」
「いい、それでも」
「よくないっ!」
荒げた自身の声に驚いたか、ミロは片手で口を押さえて気まずそうに目を逸らす。
忙しそうに、よく動く眼のクセも昔と変わらないなと感想がぼんやりと浮かぶ。
「……ダメだ。お前は真面目過ぎる」
「お前にだけは言われたくないぞ」
「……俺はお前に言われるほど、真面目ではない。そんな生真面目なヤツが喪に服して1ヶ月足らずだってのに、酔ったイキオイで他のヤツと寝るか?」
言った後で苛立たしげに舌打ちしたのが聞こえた。
「夕べはどうかしてた。反省してる。よりによって何でも正面から受け止めるお前に甘えて擦り寄るなんて……軽はずみだった。こうなるってちょっと考えれば予想できたはずなのに…………申し訳なかったと思ってる」
「何を言う、俺はお前に頼られたい」
立ち上がって側に歩み寄れば、縮んだ分だけ距離を開けられた。
「だからダメなんだ、リアは! 優し過ぎる、人が好過ぎる、真に受け過ぎる! よく考えろ! 俺にいいように利用されたようなものだぞ!? 寂しいから構ってくれってフラフラ寄って来ただけのヤツに!! もう、サクアク…………俺……」
最後の「俺」の部分は、気をつけていないと聞き逃してしまいそうなほど、小さかった。
また、そうやって自分を責めるのか。
俺はカシオスのことで自分を責め過ぎるなと他でもない、このミロに釘を刺されたワケだが、これでは似たもの同士もいいところだ。
互いに自身に対しては、鈍感極まるらしい。
「それをいうなら、俺は恋人を失った相手の隙に付け入る卑怯者なのだが?」
「ち、違う、リアは卑怯者などではないっ。俺が誘ったりしたから……」
「その誘惑に負けたのは、俺自身だ。だいたい先にちょっかいだしたのも、俺からだった」
裏切るようで悪いが、お前の言葉を借りるなら、俺だってそれほどイイヒトなんかではない。……むしろ、ただのイイヤツだなんて思われていたくない。
それは恋愛の対象として見なされていないに等しいのだから。
(俺が……このアイオリアが。いつまでも安全な男だと思ってくれるなよ?)
距離を開けられても構わず、悠々と歩を進めて部屋の隅にまで追い詰める。
背に壁を感じたミロがチラリと後ろに目をやり、しまった。と顔に出した。
さらに俺は両手を壁について相手を囲い、逃げ道を塞ぐ。
「確かに。昨夜は俺にとって特別だったよ。だが、お前の言うような、カンチガイなんかじゃない。例え酒に酔っていようが、誰の誘いにでも乗ると思われるのは心外だ。そんなに安い男ではないぞ、このアイオリアは」
相手の寝顔と涙に誘われて、思わず口付けしてしまったのは俺。
キスに目覚めて、拒絶せずに招き入れたのはお前。
結局、起こるべくして起こった過ちだったように思う。
(だとしたら、互いに憎からず思っていると。そういうことではないのか)
「お前はどうなのだ、ミロよ。お前を抱くのは誰でもよかったのか? 優しくしてくれるヤツなら、隙間を埋めてくれるヤツなら、誰にでも肌を許したか?」
リアのだから、俺のだからいいと言ってくれた。
欲しいと何度も口にした。
あの言葉をどうか否定しないでくれ。
「見え透いた強がりなど聞きたくない。取り繕った建前も、言い訳も、気遣いも要らない。俺が知りたいのは、お前の本音だけだ」
先手を打って釘を刺すとミロは開きかけた口を閉ざしてしまった。
「醜くてもズルくても構わん。どうせ俺も大して変わらないからな。……俺は……」
お前を部屋に連れてきたとき………………勝ったと思ったんだ。
誰に?
もちろん、カミュに。
絶対に敵うわけがないと戦わずして退いていた恋敵に。
もう二人は出来上がっているのだから、間に入れるはずがない。
知的でクールな印象のカミュに俺なんかが敵いっこない。
惨めな思いをするならいっそ、なかったことにすればいい。
封じて鍵を掛け、目を背け続けてきた。
けれど捨て切れなかった想い。
それは綺麗な宝物とは程遠く、嫉妬と羨望と欲にまみれた見るに耐えない醜悪な、抑圧された黒い塊。
カミュがいなければ、いなくなりさえすれば、俺たちは元に戻れるハズ。
そんな女々しくも恐ろしい考えをいつもどこか片隅に隠し持っていた。
「俺は初めて抱いた相手だから特別だと感じたんじゃない。抱いたから好きになったんじゃない。……好きだったヤツを初めて抱けた夜だから特別だったんだ」
意外だったであろう告白に、ミロが身を固くしたのが感じられた。
驚きを体現したその反応は、俺のことをただの幼馴染としてしか見てこなかったと物語っている。
「なぁ、知っていたか? 俺が昔からお前を好きだったこと」
額同士を軽くぶつけて、答えを求めない問いを投げかける。
「……知らなかったろ? 知らないよな。俺は隠していたし、お前はカミュしか見ていなかった」
ミロは、何も言わなかった。
ただ、黙って間近にある俺の顔を注視している。
時折、何かを言いたげに唇が微かな動きを見せたが、それだけだった。
迷って動揺しているということだけは、言葉がなくともひしひしと伝わってくる。
背にしている壁の表面をしきりに引っ掻いているヒステリックな行動が何よりの証拠だ。
「今すぐにとは言わない。俺は待つ。お前が自分を許せるようになるまで。もう10年も辛抱し続けてきた。今更、1年2年増えてもどうということはない。だから……気持ちの整理がついたら、俺の許へ来い。……必ず」
……一石投じた。
これ以上の言葉は不要。
飾りなど要らない。
不器用者にはストレートな物言いがお似合いだ。
俺が両腕の囲いを外し、一歩身を引いても、呆然としたままミロは立ち尽くしていた。
「……朝の訓練、サボッてしまったから、俺は今から身体を動かしてくる。お前はここにいてもいいし、帰っても構わない。好きにするといい」
やはり戻らない答え。
けれどもう、不安にはならなかった。
きっと俺たちは昔のように納まる。
傷ついたお前を癒せるのは、俺しかいないのだから。
その昔、幼いお前が傷ついた俺に寄り添ってくれたように。
大切な者を失う痛みを知る俺が、今度はお前を支えよう。
(……悪いな、カミュ。返してもらうぞ、俺の幼馴染を)
もう、遠慮などしない。
自分のテリトリーにターゲットを独りぽつんと残して、俺は部屋を出た。
出所不明の確信があった。
ミロは、俺の許に戻ってくる。
俺の手に帰ってくる。
最初から、そうあるべきだった。
俺たちは、二人で一つの対なのだから。
トリトマ:あなたを思うと胸が痛む、切実な思い、恋する辛さ、恋の痛み、あなたは私を楽しませる